本妙寺・明暦大火供養塔

本妙寺・明暦大火供養塔

東京都豊島区巣鴨5丁目、染井霊園西側にある法華宗の東京別院が、本妙寺。明暦3年(1657年)の明暦の大火(振袖火事)の火元は、当時、本郷丸山(東京都文京区本郷5丁目)にあった本妙寺という説があり、本堂横には明暦大火供養塔が立っています。

明暦の大火の火元といわれる本妙寺にある供養塔

本妙寺・明暦大火供養塔

明暦の大火(振袖火事)の火元に関しては、本妙寺とするのが通説ですが、近隣の老中・阿倍忠秋(あべただあき)の屋敷が火元で、老中の屋敷が火元ではまずいということで、本妙寺が火元であることを引き受けたという説もあります。
明暦の大火(振袖火事)から3年後には客殿、庫裡を、6年後には本堂を復興し、幕府から異例な厚遇を受けていること、老中だった阿部家から毎年明暦の大火の供養料(年15俵)が大正12年の関東大震災にいたるまで260年余にわたり奉納され続けたことなどから、本妙寺の風上(北西の強風が吹いていました)、阿倍忠秋邸が火元と疑われるのです(振袖火事と呼ばれる振袖説は後世の創作です)。

明暦の大火(振袖火事)では当時の江戸市街地の6割以上が焼土と化し、18万7046人(『武江年表』に「万石以上の御屋敷五百余宇、御旗本七百七十余宇、堂社三百五十余宇、町屋四百町、焼死十万七千四十六人といへり」と記載)という尊い人命が奪われ、無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸に回向院(えこういん/現・墨田区両国2丁目)を開いて万人塚を築いて無縁仏を祀っています。

本妙寺は明治時代末に、現在の巣鴨に移転。
本妙寺境内にある供養塔のうち、中央・釈迦牟尼仏像と右側・圭頭碑は明暦の大火供養のもので、左側の無縫塔は安政の大地震供養のもの。
境内(墓地)には千葉周作の墓、遠山景元(遠山の金さん)の墓もあるので、あわせて見学を。

明暦大火の供養塔は「火元」の本妙寺のほか、供養のために開かれた両国・回向院にもあります。

ちなみに、明暦の大火、明和の大火、文化の大火が「江戸三大大火」ですが、延焼面積、死者ともに江戸時代最大の火事は、天守を含む江戸城をも焼いた明暦の大火です。
ローマ大火(西暦64年7月18日、皇帝ネロ時代のローマ帝国の首都ローマでの大火災)、ロンドン大火(1666年にロンドンで起こった大火)、明暦の大火を「世界三大大火」とする場合もあります。

本妙寺・明暦大火供養塔
名称 本妙寺・明暦大火供養塔/ほんみょうじ・めいれきたいかくようとう
所在地 東京都豊島区巣鴨5-35-6
関連HP 本妙寺公式ホームページ
電車・バスで JR・都営地下鉄巣鴨駅から徒歩15分、さくらトラム新庚申塚駅から徒歩5分
駐車場 境内駐車場(12台/無料)、彼岸、施餓鬼期間中は利用不可
問い合わせ 本妙寺 TEL:03-3917-1558
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
本妙寺・千葉周作の墓

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東京都豊島区巣鴨5丁目、法華宗陣門流の東京別院、本妙寺にあるのが、千葉周作の墓(ちばしゅうさくのはか)。本妙寺には遠山景元(名奉行として名高い遠山金四郎)の墓もありますが、江戸時代後期の剣術家として知られる千葉周作もここに眠っています。江戸

本妙寺・遠山景元の墓

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東京都豊島区巣鴨5丁目、染井霊園西側にある法華宗の東京別院が、本妙寺。境内には「遠山の金さん」として知られる遠山景元の墓があり、東京都の旧跡に指定されています。遠山景元は、北町奉行、南町奉行という両奉行を務めた唯一の旗本で、安政2年2月29

 

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