徳島県徳島市川内町にある浄瑠璃作家・近松半二(ちかまつはんじ・1725~1783年)の傑作、人形浄瑠璃『傾城阿波鳴門』(けいせいあわのなると=1768・明和5年)のモデルとなった庄屋・板東十郎兵衛の屋敷跡で、建物は享保年間に建てられたもの。館内で、阿波人形浄瑠璃を上演。
人形浄瑠璃『傾城阿波鳴門』を鑑賞
館内では阿波木偶人形の展示や、十郎兵衛の遺品を展示するほか、「ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します」で有名な『傾城阿波鳴門』八段目「順礼歌の段」の上演も行なわれています(全席自由席、上演時間は25分間で、満席の場合は立ち見に/上演時間を事前に確認して訪問を)。
国の重要無形民俗文化財に指定される「阿波人形浄瑠璃」は、義太夫節(ぎだゆうぶし)の浄瑠璃と太棹の三味線、3人遣いの人形の三者によって演じられる人形芝居。
徳島県では、吉野川流域の藍作地帯で淡路の人形座が小屋掛けの舞台をつくって興業が行なわれ、勝浦川、那賀川、海部川などの流域では神社の境内に建てた常設の農村舞台での公演が実施されていました。
板東十郎兵衛は藩政時代に阿波国宮島浦と鶴島の庄屋を務めた家柄で、他国からの輸入米(肥後米)の検査する「他国米積入れ川口裁判改め役」の重責を担っていました。
部下の不正を幕府の隠密(おんみつ)がかぎつけ、徳島藩は、罪をすべて十郎兵衛に押しつけ、解明を図ることなく元禄11年(1698年)、十郎兵衛やその息子3人を処刑することで決着をつけています。
妻・お弓、娘・おつるは屋敷を出たあと病死し、板東家は途絶。
時代劇さながらの物語ですが、処刑のちょうど70年後に発表される近松半二作の『傾城阿波鳴門』は、阿波の十郎兵衛、お弓、おつるの登場人物はまさに板東家だが、物語は大きく異なる創作となっています。
徳島県立阿波十郎兵衛屋敷 | |
名称 | 徳島県立阿波十郎兵衛屋敷/とくしまけんりつあわじゅうろうべえやしき |
所在地 | 徳島県徳島市川内町宮島本浦184 |
関連HP | 徳島県立阿波十郎兵衛屋敷公式ホームページ |
電車・バスで | JR徳島駅から徳島市営バス富吉団地行きで20分、阿波十郎兵衛屋敷前下車 |
ドライブで | 徳島自動車道徳島ICから約2.5km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 徳島県立阿波十郎兵衛屋敷 TEL:088-665-2202/FAX:088-665-3683 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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