1693(元禄6)年、因伯国32万石を領した初代鳥取藩主・池田光仲(いけだみつなか)が逝去し、奥谷(おくだに)の地に埋葬されたことに始まる奥谷御廟。池田光仲を含め11代の藩主とその夫人、東館(ひがしやかた)・西館(にしやかた)などの分家の当主なども祀られ合計78基の墓が並んでいて国の史跡になっています。
奥谷一帯はパワースポット
初代鳥取藩主・池田光仲から11代藩主・慶栄までの歴代藩主(池田家)とその夫人、またその分家である東館・西館の人々の墓所です。初代初代の鳥取藩主・池田光仲は1693(元禄6)年7月7日に鳥取城で逝去。そこで鳥取城下周辺に墓所を定めることになり、因幡32万国の藩主にふさわしい場所を々調査した結果、この奥谷の地に埋葬することになりました。墓所近くには、因幡一之宮として篤い信仰を集める宇倍神社があり、一帯はパワースポットになっています。
8代藩主・池田斎稷(いけだなりとし)は江戸で没し、向島の弘福寺(江戸時代には池田家の江戸菩提寺/現・東京都墨田区向島5丁目)に葬られましたが、遺髪だけは鳥取に帰り、他の藩主と同様に墓碑が建てられました(関東大震災を機に遺骨も墓所に改葬)。
12代藩主(最後の藩主)・池田慶徳(いけだよしのり)は明治10年に神戸で死去し、江戸・弘福寺に葬られました。後に多摩墓地に移されましたが、平成15年に大雲院(鳥取市)に移転改葬されています。
藩主の葬儀は、遺体を柩に収め、いったんは興禅寺に安置され興禅寺で御龕(おがん=柩)に移し、宮下の化田河原(けでんがわら)での法要後に奥谷の墓所に埋葬されました。
秋には『池田家墓所紅葉ライトアップ』も実施
墓地全体の面積は4haにもおよび、藩主ら78基の墓の周囲には254基の家臣などが寄進の燈籠(一族に仕えた人の名が刻まれています)が並んでいて壮観。
藩主の墓は、玉石垣を巡らせた台上に3段の台石を重ね、その上に亀を象った「亀趺」(きふ)と呼ばれる台石に円頭扁平な墓標を立てた壮大なもので「亀趺円頭の墓碑」(きふえんとうのぼひ)といわれています。2代藩主・池田綱清の墓碑のみ、時の将軍であった徳川綱吉の「生類憐れみの令」に配慮し亀趺がないことにも注目を。
往時には墓所を管理する千岳庵(後に清源寺=興禅寺の末寺)がありましたが明治維新で藩の庇護がなくなり、その後の廃仏毀釈で廃寺となっています。
駐車場横の芝地が清源寺の跡。現在では「奥谷御廟所図」をもとに財団法人史跡鳥取藩主池田家墓所保存会が復元整備を行なっています。
紅葉シーズンの11月下旬〜12月上旬には『池田家墓所紅葉ライトアップ』も実施。
鳥取藩主池田家墓所 | |
名称 | 鳥取藩主池田家墓所/とっとりはんしゅいけだけぼしょ |
所在地 | 鳥取県鳥取市国府町奥谷・宮ノ下 |
関連HP | 鳥取藩主池田家墓所ホームページ |
電車・バスで | JR鳥取駅から路線バスで25分、宮ノ下口下車、徒歩10分。または、JR鳥取駅からタクシーで15分 |
ドライブで | 鳥取自動車道鳥取ICから約9km |
駐車場 | 15台/無料(墓所駐車場が満車の場合は、宇部神社横の宮下地区公民館駐車場を利用) |
問い合わせ | 史跡鳥取藩主池田家墓所保存会(鳥取県教育委員会文化課内)TEL:0857-26-7760 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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