熊本県三大古墳とは!?

熊本県三大古墳

熊本県の古墳時代は有明海に面した平野部だけでなく、阿蘇谷にも巨大な古墳が築かれています。これは阿蘇谷に豊富な資源があり、古代の工場があったから。氷川町の大野窟古墳、阿蘇市の長目塚古墳、山鹿市の岩原双子塚古墳が現存する熊本県三大古墳です。

大野窟古墳|氷川町

形式:前方後円墳
墳丘長:122.8
所在地:熊本県八代郡氷川町大野芝原 ・崩迫
築造の時代:6世紀中葉〜後半(古墳時代後期)
被葬者:八代海や有明海を支配した火の君の首長墓
史跡指定:国の史跡

大野窟古墳

大野窟古墳

熊本県八代郡氷川町(ひかわちょう)にある墳丘長122.8mという熊本県最大の前方後円墳が、大野窟古墳(おおのいわやこふん)。国内最大の天井高という巨石(阿蘇溶結凝灰岩の切石)が使われる横穴式石室があることが、窟(いわや)と呼ばれるゆえん。国

長目塚古墳|阿蘇市

形式:前方後円墳
墳丘長:111.5m
所在地:熊本県阿蘇市一の宮町中通1198
築造の時代:5世紀前半(古墳時代中期)
被葬者:阿蘇国造(あそのくにのみやつこ)の墳墓とする説もあり、阿蘇君(あそのきみ=氏神は阿蘇神社)、あるいと深い関連のある首長
史跡指定:熊本県の史跡

長目塚古墳

長目塚古墳

熊本県阿蘇市一の宮町、肥後国一之宮・阿蘇神社の北、阿蘇北外輪山の麓に築かれている阿蘇の古代を今に伝える古墳が、長目塚古墳(ながめづかこふん)。墳丘長111.5m(一部が削平、推定復元116.5m)で、熊本県では大野窟古墳(八代郡氷川町、12

岩原双子塚古墳|山鹿市

形式:前方後円墳
墳丘長:107m
所在地:熊本県山鹿市鹿央町岩原
築造の時代:5世紀(古墳時代中期)
被葬者:5世紀に、一帯を治めた有力な首長
史跡指定:国の史跡

岩原双子塚古墳

岩原双子塚古墳

熊本県山鹿市鹿央町岩原、古墳時代中期〜後期の岩原古墳群(国の史跡)の中核をなす古墳が、岩原双子塚古墳(いわばるふたごつかこふん)。墳丘長107mの前方後円墳で、熊本県屈指の大古墳で、周辺には大小11基の円墳が点在。岩原双子塚古墳は、前方部と

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