「富山の売薬」で名高い富山県富山市。薬種商は、薬の原料となる生薬などを仕入れ・製造する店で、江戸時代には製造された薬を「売薬さん」が売り歩きました。金岡家は、江戸末期から4代に渡り薬種商を営んできた旧家。売薬の歴史を今に伝える薬種商の館金岡邸は、売薬資料館(富山県民会館分館)として一般に公開されています。
薬種商を営んだ旧家を売薬資料館に再生
金岡家は江戸時代から薬種商を商い、初代・金岡又左衛門は、電気事業にも注目。
明治32年には北陸で初の大久保発電所を造り、大正時代には富山軌道の創立に参加など富山経済の発展にも尽力しています。
主屋は明治初期の商家で、薬種商店舗の遺構。
大正時代築の新屋は総檜造りの迎賓館でともに国の登録有形文化財になっています。
館内には原料を粉にするために使われた薬研(やげん)などの製薬の道具、薬売りのトレードマークともいえる柳行李(やなぎこうり=荷物運搬に使った箱型の入れ物)、みやげ品として人気だった売薬版画(富山絵=「おまけの風船」以前の売薬土産)、中国科学院から寄贈された貴重な「ジャコウジカ」の剥製などを展示。
富山の売薬は、2代藩主・前田正甫(まえだまさとし)が江戸城参勤の折りに、三春藩主の腹痛を印籠から取り出した丸薬でたちどころに治し、居合わせた諸国の大名たちが国元への販売を希望したことから広まったと伝えられています。
金岡邸の建つ新庄地区は、岩瀬浜と結ぶ東岩瀬道、霊峰立山への信仰の道である上市大岩道などが交差する交通の要衝。
富山城築城以前には北国街道の宿場町にもなっていました。
ちなみに明治11年、明治天皇の北陸巡幸の折には、庭を眺めて休憩された地でもあるのです。
名称 | 薬種商の館金岡邸/やくしゅしょうのやかたかなおかてい |
所在地 | 富山県富山市新庄町1-5-24 |
関連HP | 薬種商の館金岡邸公式ホームページ |
電車・バスで | 富山地方鉄道東新庄駅から徒歩5分 |
ドライブで | 北陸自動車道流杉スマートICから約5km |
駐車場 | 15台/無料 |
問い合わせ | 薬種商の館金岡邸 TEL:076-433-1684 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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