粉河寺

粉河寺

宝亀元年(770年)、猟師・大伴孔子古(おおとものくじこ)による創建と伝わる、粉河(こかわ)観音宗の総本山が歌山県紀の川市にある粉河寺(こかわでら)。清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子』(まくらのそうし)にも登場する古刹で、山号は風猛山(かざらぎさん)。西国三十三所第3番札所で、本尊は千手千眼観音菩薩。

平安時代からその霊験で知られる紀州屈指の名刹

粉河寺
特別法要の様子
粉河寺
薬師堂御本尊(特別拝観時)

清少納言の『枕草子』194段には、「寺は、壺阪。笠置(かさぎ)。法輪(ほふりん)。霊山(りやうぜん)は、釈迦仏(しやかほとけ)の御すみかなるが、あはれなるなり。石山。粉河(こかは)。志賀。」と記されているので、平安時代中期には名だたる名刹だったことがわかります。
これを現代風に訳せば壺阪寺、笠置寺、正法寺、石山寺、粉河寺、志賀寺(崇福寺=室町時代に廃寺/滋賀県大津市)となります。

平安末期の今様歌謡の集成である『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)にも「観音験(しるし)を見する寺、清水、石山、長谷の御山、粉河」とあるので、その霊験あらたかなることがよくわかります。

中世には広大な荘園を有し、さらに僧兵を構えて、南側の猿岡山(現・秋葉山)に猿岡山城を築き、軍事的な拠点としても機能していました。

そのため、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐の際には、根来衆の拠点である根来寺、雑賀衆などとともに抵抗を示し、ついに全山が焼き払われています。

本堂など4棟が国の重要文化財

粉河寺
大門
粉河寺
中門

最盛期には七堂伽藍、塔頭が550坊、寺領4万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇ったが、秀吉の紀州攻めで焼失、堂宇は江戸時代に再建されたもの。
本尊の千手観音像は絶対の秘仏とされ、過去に御開帳されたという記録も残されていません。
前立本尊も秘仏のため、内陣背面に安置された千手観音像(通称「裏観音」)を拝むしきたり。

境内には、宝永4年(1707年)築の大門、天保3年(1832年)築の中門、享保5年(1720年)築の本堂、宝暦10年(1760年)築の千手堂(いずれも国の重要文化財)などが建ち並んでいます。

江戸時代初期以前の築造と推測される「粉河寺庭園」は、国の名勝。
粉河寺阿弥陀如来像(露座仏)は、紀州藩8代藩主・徳川重倫(とくがわしげのり)らの寄進。

また寺所蔵で国宝の『紙本著色粉河寺縁起』は、平安末〜鎌倉初期の作と推定されています。

西国三十三所霊場間の距離・時間

2番・紀三井山金剛宝寺/紀三井寺(和歌山県和歌山市紀三井寺1201) — (29km/1時間) — 3番・風猛山粉河寺(和歌山県紀の川市粉河2787) — (30km/1時間) — 4番・槇尾山 施福寺/槇尾寺(大阪府和泉市槇尾山町136)
※距離と時間はルートや交通状況により変動するため、およその目安です

粉河寺
名称 粉河寺/こかわでら
所在地 和歌山県紀の川市粉河2787
関連HP 紀の川市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR粉河駅から徒歩15分
ドライブで 京奈和自動車道紀の川東ICから約2.5km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 粉河寺 TEL:0736-73-4830/FAX:0736-73-2007
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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