学文路駅

学文路駅

和歌山県橋本市にある南海電気鉄道高野線の駅が、学文路駅(かむろえき)。難読駅名としても知られる駅ですが、近年は学文路天満宮、かむろ大師の玄関駅として受験生などにも注目の駅になっています。高野山参詣関連遺産として経済産業省の近代化産業遺産にも認定。

近代化産業遺産にも認定の駅は、受験生も注目

高野山参詣路の京大坂道(きょうおおさかみち)は、学文路から極楽橋(現・極楽橋駅)を通り、不動坂を上って女人堂に通じる道。
最も多くの参詣者で賑わった高野参詣道ですが、そのルート沿いに参詣者の輸送を目的に敷設されたのが南海電気鉄道高野線の前身となる高野鉄道です。

高野山参詣関連遺産として、極楽橋駅、九度山駅、高野下駅、紀伊細川駅、紀伊清水駅、下古沢駅、上古沢駅、紀伊神谷駅、高野山駅、紀ノ川橋梁、丹生川橋梁、鋼索線(高野山ケーブルカー)とともに経済産業省の近代化産業遺産「社寺参詣や温泉観光・海水浴に端を発する大衆観光旅行の歩みを物語る近代化産業遺産群」にも認定されています。

学文路駅
名称 学文路駅/かむろえき
所在地 和歌山県橋本市学文路361-1
関連HP 南海電鉄公式ホームページ
問い合わせ 橋本駅 TEL:0736-32-2310/南海テレホンセンター TEL:06-6643-1005
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
高野下駅

高野下駅

和歌山県伊都郡九度山町にある南海電気鉄道高野線の駅が、高野下駅(こうやしたえき)。大正14年7月30日に高野山駅として開業した歴史ある駅で、駅舎ホテル「NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道 Operated by KIRINJI」

極楽橋駅

極楽橋駅

和歌山県伊都郡高野町にある南海電気鉄道高野線の終着駅で、鋼索線(高野山ケーブル)への乗り換え駅となっているのが、極楽橋駅(ごくらくばしえき)。標高は535mもあり、橋本駅との高低差はなんと443mもあります。高野山参詣関連遺産として経済産業

九度山駅

九度山駅

和歌山県伊都郡九度山町にある南海電気鉄道高野線の駅が、九度山駅(くどやまえき)。標高は94mで、標高535mの極楽橋駅に向けて、山岳路線のスタートとなる駅です。大正13年12月25日に延伸開業した歴史ある駅で、高野山参詣関連遺産として経済産

紀伊神谷駅

紀伊神谷駅

和歌山県伊都郡高野町にある南海電気鉄道高野線の駅が、紀伊神谷駅(きいかみやえき)。昭和3年6月18日、高野山電気鉄道の終着駅として開業、昭和4年2月21日に極楽橋駅まで延伸したことで、中間駅になっています。関西の大手私鉄屈指の「秘境駅」とし

下古沢駅

下古沢駅

和歌山県伊都郡九度山町にある南海電気鉄道高野線の駅が、下古沢駅(しもこさわえき)。標高177 mで、橋本駅とはすでに85mの標高差があり、さらに終点の極楽橋駅までに358mも上ることになります。高野山参詣関連遺産として経済産業省の近代化産業

上古沢駅

上古沢駅

和歌山県伊都郡九度山町にある南海電気鉄道高野線の駅が、上古沢駅(かみこさわえき)。ひとつ前の下古沢駅から53m上った標高230mに駅があり、終着の極楽橋駅とは305mの標高差があります。高野山参詣関連遺産として経済産業省の近代化産業遺産に認

上古沢駅

上古沢駅

和歌山県伊都郡九度山町にある南海電気鉄道高野線の駅が、上古沢駅(かみこさわえき)。ひとつ前の下古沢駅から53m上った標高230mに駅があり、終着の極楽橋駅とは305mの標高差があります。高野山参詣関連遺産として経済産業省の近代化産業遺産に認

紀伊細川駅

紀伊細川駅

和歌山県伊都郡高野町にある南海電気鉄道高野線の駅が、紀伊細川駅(きいほそかわえき)。橋本駅との高低差はすでに271mという、標高363mに位置する駅で、紀伊神谷駅、終着・極楽寺橋駅(535m)へと、さらに登坂が続きます。高野山参詣関連遺産と

紀伊清水駅

紀伊清水駅

和歌山県橋本市にある南海電気鉄道高野線の駅が、紀伊清水駅(きいしみずえき)。大正14年3月15日に開業した駅で、高野山参詣関連遺産として経済産業省の近代化産業遺産にも認定。駅の東側を高野参詣道の黒河道(世界遺産「高野参詣紀伊山地の霊場と参詣

紀ノ川橋梁(南海電気鉄道高野線)

紀ノ川橋梁(南海電気鉄道高野線)

和歌山県橋本市、南海電気鉄道高野線の橋本駅〜紀伊清水駅間の紀ノ川に架かるのが、紀ノ川橋梁。高野線の前身である高野鉄道は、高野山参詣者の輸送が目的で敷設された路線で、高野山参詣関連遺産として経済産業省の近代化産業遺産にも認定される鉄道橋梁です

学文路天満宮

学文路天満宮

和歌山県橋本市にある菅原道真を祭神とする天満宮が、学文路天満宮(かむろてんまんぐう)。平安時代後期の天治元年(1124年)に創建された古社で、中世には相賀荘河南の鎮守で「河南天神」とも称されました。「学問(学文)の路に入る」ことから、近年は

 

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