萩市街の北東、国道191号沿いの丘陵地に建つ萩反射炉。幕末の安政3年(1856年)に長州藩が大砲を造るために建設した反射炉(西洋式の金属溶解炉)で、近世の反射炉としては静岡県韮山とここにしか現存しない貴重なもの。世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産にもなっています。
長州藩が丘の上に築いた反射炉(試験炉)跡は世界遺産に登録!
長州藩は郡司喜平治に大砲鋳造用掛を命じ、郡司家を大砲鋳造所とし、「こしき炉」と「たたら」とによる日本古来の製法で洋式大砲の鋳造が行なわれていました。
嘉永7年(1854年)に佐久間象山の指導のもとに18ポンド砲を鋳造させ、下関戦争でも活用されましたが、その敗北から反射炉(西洋式の金属溶解炉)の必要性が高まっていました。
佐賀藩では、すでに嘉永3年(1850年)に築地反射炉を完成させ、反射炉の研究と操業で先行していましたが、安政2年(1855年)7月、長州藩は藩士・山田宇右衛門らを派遣しますが、佐賀藩は視察を拒否。
長州藩は8月に小沢忠右衛門(おざわちゅうえもん)を派遣して、今度はようやく反射炉のスケッチが許され、これをもとにしての反射炉建設が始まります。
反射熱を利用して金属を溶かすのが反射炉ですが、萩反射炉には高さ10.5mの煙突のみが現存。
安山岩積みで、上方一部がレンガ積みとなっています。
萩反射炉では実際に大砲製造の記録がないことから市民研究団体「幕末長州科学技術史研究会」は、試験炉だったと推測しています。
『近代技術導入事始め』海防を目的とした近代黎明期の技術導入の歩みを物語る近代化産業遺産群として経済産業省の近代化産業遺産にも認定されています。
ちなみに、国内における反射炉は、佐賀藩が最初に建造し、その後、薩摩藩、幕府領(天領)の韮山、水戸藩、長州藩、島原藩、鳥取藩、岡山藩と続いています。
反射炉の遺構としては韮山反射炉(静岡県伊豆の国市/現存)と集成館反射炉(鹿児島県鹿児島市/基礎の石組のみ現存)と煙突部分が現存する萩反射炉の3ヶ所のみとなっています。
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録される反射炉は韮山反射炉と萩反射炉、そして旧集成館反射炉跡の3ヶ所のみです。
萩市内で「明治日本の産業革命遺産」の登録資産になっているのは萩反射炉のほか、恵美須ヶ鼻造船所跡、松下村塾、萩城下町、大板山たたら製鉄遺跡の5ヶ所です。
萩反射炉 | |
名称 | 萩反射炉/はぎはんしゃろ |
所在地 | 山口県萩市椿東 |
関連HP | 萩市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR東萩駅から徒歩20分、またはタクシーで3分 |
ドライブで | 中国自動車道山口ICから約46km |
駐車場 | 21台/無料 |
問い合わせ | 萩市世界文化遺産課 TEL:0838-25-3380 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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