山口県萩市、萩市街南郊にある臨済宗南禅寺派の寺、大照院。もとは天台宗の寺院で、14世紀に臨済宗へ改宗。かつては観音寺、歓喜寺とも呼ばれましたが、明暦2年(1656)年、萩藩(長州藩)2代藩主・毛利綱広が初代・毛利秀就(もうりひでなり)の菩提を弔うため改号、大照院(毛利秀就の法号)としたもの。
大照院は初代藩主、毛利秀就の法号
萩藩初代藩主・毛利秀就の戒名は、大照院殿前二州太守四品羽林次将月礀紹澄大居士。
大照院には萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)もあり、毛利秀就以下、2代〜12代までの偶数代の7藩主と夫人および一族と毛利秀就に殉死した7藩士の墓、合計52基が置かれています。
鐘楼門をくぐると、参道には603基の石灯籠が整然と並んでいますが、これは家臣や縁の深い人たちが寄進したもの。
現存する本堂などの伽藍は、延享4年(1747年)の火災後、第6代長州藩主・毛利宗広(もうりむねひろ)の再建。
本堂、鐘楼門、庫裏、書院などは、いずれも寛延3年(1750年)頃までの建築、経蔵は宝暦5年(1755年)の建築で、すべてが国の重要文化財。
再建を手がけた毛利宗広は、寛延4年(1751年)、35歳の若さで没し、世嗣となる男児がいなかったため、支藩である長府藩から毛利重就(もうりしげなり)が末期養子として迎えられ、萩藩(長州藩)7代藩主になって、新田や塩田の開発を進めています。
本堂には南北朝時代の木造赤童子立像(もくぞうあかどうじりゅうぞう)が祀られ、やはり国の重要文化財に指定されています。
木造釈迦如来坐像、木造義翁和尚倚像は山口県の文化財。
藩祖となる毛利輝元の墓は旧天樹院墓所(萩市堀内)に、3代藩主・毛利吉就から11代までの奇数代の5藩主と夫人および一族(子、孫、側室、侍女ら)、関係者の墓40基は東光寺墓所(萩市椿東)にあります。
13代・毛利敬親と夫人、さらに毛利家歴代諸霊の墓計7基と初代・毛利秀就の母・周慶寺殿の墓は、香山墓所(山口市香山町・香山公園内)です。
一般的に長州藩と呼ばれる萩藩は、幕末に山口城に移すまでまで萩城が藩庁で、藩主の墓所は萩市と山口市にあります。
毎年8月13日に行われる『萩・万灯会』の迎え火では、参道に並ぶ603基の石灯籠に灯(ひ)が入り、幽玄の世界が広がります。
大照院 | |
名称 | 大照院/だいしょういん |
所在地 | 山口県萩市椿青海4132 |
関連HP | 大照院公式ホームページ |
電車・バスで | JR萩駅から徒歩15分。または、萩循環まぁーるバスで大照院入口下車、徒歩3分 |
ドライブで | 中国自動車道山口ICから約42km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 大照院 TEL:0838-22-2124 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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