山口県下関市、赤間町(下関の古名は赤間関)にある商売繁盛にご利益のある稲荷社が末広稲荷神社。社伝によると大同4年(809年)の創建という古社で、下関では最古の稲荷社となっています。現在は赤間町ですが往時には稲荷町と呼ばれた遊郭街(江戸時代に誕生した花街)があった地です。
下関の繁栄、幕末の激動を見届けた神社
壇之浦の合戦で敗れた平家の武将は漁師となり、一部の女官は遊女に身を落としたともいわれ(日本の遊郭発祥の地とも)、つまりは平家の女官が参拝したとも伝わる古社なのです。
赤間関は、山陽道・山陰道の起点で、日朝・日明貿易の拠点ともなった地。
室町時代には「百済の聖明王の第3王子の後裔(こうえい=末裔)」と自称する大内氏が朝鮮との貿易を赤間関を拠点として行なっています。
近世には西廻り航路(北前船)の経由地ともなって栄えました。
平家女官発祥ともいわれた稲荷遊郭は格式を誇った遊郭で、遊女は客の上座に座り足袋を履いていました。
そんな赤間関の繁栄を見守り続けたのが末広稲荷神社で、桂小五郎(木戸孝允)を説得に下関に滞在した坂本龍馬や奇兵隊の高杉晋作も稲荷町で遊んでいるので(龍馬が「宮屋」の鬼瓦を斬ったという逸話が残されています)、この社に願掛けで参拝したと推測できるのです。
現在、「東京第一ホテル下関」が建つ場所に稲荷町筆頭の伎楼「大坂屋」(対帆楼)があり、坂本龍馬の盟友・中岡慎太郎も滞在し、坂本龍馬と伊藤博文の会談が行なわれ、下関戦争後に井上馨と伊藤博文は、当時英国通訳官だったアーネスト・サトウをここで「洋風の食事」で接待しています。
高杉晋作の愛妾・おうの(明治維新後の戸籍には谷梅処とあります)は、遊郭「堺屋」の三味線芸者、伊藤博文の妻・梅子は遊郭「いろは楼」の見習い芸者でした。
名称 | 末広稲荷神社/すえひろいなりじんじゃ |
所在地 | 山口県下関市赤間町5-4 |
電車・バスで | JR下関駅からサンデン交通バス新下関駅方面行きで7分、唐戸下車、徒歩7分 |
ドライブで | 中国自動車道下関ICから約3km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 下関市観光政策課 TEL:083-231-1350 |
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