山下さんは、山本さんと同じで、山の麓、山の下を意味する地形姓。山本さんが大姓9位(国民の0.82%)に対し、山下さんは28位(0.33%)と少し劣勢ですが、それでも42万人近くのお仲間がいます。それでも山中さん(136位)、山上さん(716位)に比べれば「山仲間」ではトップ2になります。
山下さんのルーツの筆頭は南房・館山に
「裸の大将」で知られる画家・山下清は、本名は大橋清治で、残念ながら山下姓ではありません。
逆に昭和に活躍した落語家で喜劇俳優の初代・柳家金語楼(やなぎやきんごろう)は、本名・山下敬太郎で東京市の生まれ。
「マレーの虎」といわれた陸軍大将・山下奉文(やましたともゆき)は、高知県長岡郡大杉村(現・大豊町)出身。
俳優・タレントの山下真司は山口県下関市出身。
ジャズピアニストの山下洋輔、シンガーソングライター・山下達郎はともに東京都出身。
NEWSの元メンバー・山下智久(やましたともひさ)は千葉県の出です。
このなかでルーツのヒントとなるのは山P(やまぴー)の千葉県ということに。
安房国平群(へぐり)郡山下(平群郡は古代の郡名。江戸時代は平郡=現在の千葉県館山市山下集落、南房総市山下)を発祥とする山下氏の流れに、滝沢馬琴(たきざわばきん)の『南総里見八犬伝』に山下定包(さだかね)という名前で登場する山下定兼がいます。
当時、群雄割拠の安房郡を領していたのが神余氏(かなまりし)ですが、神余景貞は家臣である山下定兼の謀叛にあい、神余氏は滅亡。
その後、神余氏の領地を奪った山下定兼は安房郡を山下郡と改めるほどの悪役ぶりだったので、八犬伝の発端となる人物のキャラクターとしても最適だったのです。
千葉県館山市神余の神余小学校北東に神余氏や山下氏の居城であった神余城跡(かなまりじょうせき)があり、巴川の対岸、神余小学校のすぐ北西側には山下定兼の居館であった山下城の跡が残されています。
山下集会所の裏の尾根筋なので山下集会所を目印にアプローチを。
まさに山の下(ふもと)という感じになっています。
愛知県岡崎市に山下さんのルーツが
安房国(千葉県南部)以外にも山下さんは地形姓だけに、さまざまな「山の下」から発祥しています。
信濃国奥郡(長野県西筑摩郡)山下を発祥とする山下氏は清和源氏木曽義仲の後裔・義綱を祖とし、その子綱勝は三河(愛知県の東部)に移り、やがて、松平家の家臣に。
また、下野国(栃木県)の足利氏の臣・山下義道は三河に移り、子の山下義材(やましたよしき)が保久城(ほっきゅうじょう/愛知県岡崎市保久町)を築城、その治世は230年間も続き、寛正2年(1461年)、円川合戦(つぶらかわがっせん/愛知県豊田市)で山下庄左衛門が松平氏3代当主・松平信光(まつだいらのぶみつ)に滅ぼされています。
愛知県道331号(一色小久田線)沿いの下山小学校敷地隅に保久城跡があり、下山小学校北の万福寺近くに保久城主・山下家墓所(鎌倉から室町時代の墓地、個人所有)もあるので中京圏に代々暮らす山下さんのパワースポットに違いありません。
世界遺産・白川郷も山下さんの大切なルーツ
古代には葛城氏より起こった山下氏がいることも覚えておきましょう。
甲斐国(山梨県)には甲斐国造族・三枝直(さえぐさあたい)の後裔や、武田源氏浅利族の山下氏が起こり、下野国には藤原秀郷流佐野氏族の山下氏が、豊後国(大分県)には大友氏流の山下氏がと、さすがに全国に山があってルーツが点在しています。
ほかにも、豊前国(福岡県東部、大分県北西部)の宇都宮氏族、大隈国(鹿児島県)の肝付(きもつき)氏族、播磨国(兵庫県)の赤松氏族などがいるほか、
河内国(大阪府)・美濃国(岐阜県)・薩摩国(鹿児島県)各地の名族である山下氏も知られています。
山下氏関係の城としては、岐阜県大野郡白川村荻町に萩町城(おぎまちじょう)が有名。
萩町城は合掌造りの集落である世界文化遺産・白川郷を見下ろす高台に位置し、庄川の東岸で西へ突き出した尾根の先端に築かれています。
現在は白川郷を望む展望台としても最適の場所で、カメラマンにも人気の地。
この萩町城は内ヶ島家家老で剛の者として知られた山下氏勝(やましたうじかつ)の居城。
内ヶ島家は、天正地震(てんしょうじしん)で居城・帰雲城の山体崩壊に遭い、居城のごと一族郎党死亡し、山下氏勝は当初、豊臣秀吉に仕え、小田原の役に先鋒を務めています。
その後は徳川家康、尾張藩主・徳川義直に仕え、名古屋城築城や城下町整備などに功績をあげています。
清洲城を城下町ごと名古屋に引っ越した城下町移転の大事業を「清洲越し」と称していますが、この移転計画も山下氏勝のアイデアと伝えられています。
山下氏勝の墓は名古屋市千種区平和公園の法華寺墓地にありますが、岐阜県白川村では大河ドラマの主人公になり得る人物としてPRしているので、全国の山下さんなら、観光を兼ねてぜひ、白川郷へ。
山下さんは鹿児島県ではTOP、1.13%のシェア
兵庫県川西市には向山と谷を隔てた城山からなる山下城跡があり、岐阜県高山市一ノ宮町山下の山下城跡ととともにそれぞれ歴史上の逸話を残しています。
中世の山城(山上の城)ながら山下城で、しかも築城者にも山下の名がないのがユニークなところ。
それほど、山の下は重要ということなのでしょう。
山下という神社では、長野県大町市社(やしろ)字北野の山下神社、石川県加賀市大聖寺に加賀神明宮(山下神社)が鎮座。
大町の山下神社は、文字通りアルプスの展望台として知られる鷹狩山(たかがりやま)などの東山と総称される山並みの下にあり、加賀神明宮(山下神社)も山麓に。
寺としては、孝謙天皇(8世紀)が巡拝した河内六大寺(河内国にあった智識寺、山下寺、大里寺、三宅寺、家原寺、鳥坂寺の古代仏教寺院の総称)のひとつに数えられる山下寺(大阪府柏原市)がありますが、古代寺院のため寺跡だけ。
昭和57年の発掘調査で、大量の瓦が発見され、平成7年の発掘調査で「山下脊川」と墨書された10世紀の土師器椀が出土、周辺には山下などの字名が残されています。
河内六寺の中で一番東に位置し、生駒山地の裾野を削平したまさに「山の下」の古代寺院です。
山下さんは九州、四国に多く、鹿児島県ではTOPで1.13%のシェア、長崎県6位、宮崎県10位、香川県5位(0.87%)に多く、関東、東北など東日本には少ない傾向が。
山本さん、山崎さんが四国、西日本に多いのと似て、山が迫る平坦地という場所が、人々の営みに重要だったとも推測できます。
そんな山下さんですが、「やまのした」とか「やまもと」と読む場合もありますが、ルーツに関しては同じ「山の下」です。
家紋は、四つ目結、雪持笹、三つ扇、切り竹笹、雁金、左三つ巴、二つ引両、井筒、釘抜、上り藤など。
信濃の山下さんは、井筒、左三つ巴、雪持笹、二つ引両。
甲斐の山下さんは三つ扇、左三つ巴。
この家紋からもルーツをたどることができるでしょう。
取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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