邪馬台国の王都、かなり有力な遺跡が奈良県に!

纒向遺跡

3世紀末の中国の史書『魏志倭人伝』に記される女王・卑弥呼が治める邪馬台国(やまたいこく)。九州説では佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)ではないかと推測する人が多いのですが、畿内説の有力な候補として浮上しているのが奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむくいせき)。王都らしい遺構が出土しているのです。

「女王卑弥呼の宮殿」とも推測される3世紀の建物跡が!

纒向遺跡

纒向遺跡でこれまで知られているのが、箸墓古墳(はしはかこふん)。
3世紀中頃~後半に築かれた墳丘長278mの前方後円墳で、出現期古墳の中でも最古級の巨大古墳ということから247年に没したとされる卑弥呼の墓と目されてきました。

纒向遺跡では2009年3世紀前半の建物としては国内最大規模となる柱遺構が発見され、復元すると東西12m、南北19mと巨大な建物となるため、「女王卑弥呼の宮殿」との説も出て、注目度が俄然高まりました。

さらに2011年4月には「女王卑弥呼の宮殿」と指摘される大型建物跡の近く(5mほど東側)で、別の大型建物跡(東西1.2m、南北60cmの柱穴が3個)が発見され、3世紀後半から4世紀にかけての土器が多数見つかったことから、邪馬台国からヤマト王権への移行を示す遺跡という可能性も出てきました。

今後、卑弥呼が中国・魏の皇帝に使者を送った際に、金印、銅鏡などが贈られていますがそれが出土すれば、確実に邪馬台国の王都と判明することに。

現在は埋め戻されていますが、日本史最大の謎である邪馬台国の大和説最有力候補地であり、今後の発掘調査から目が離せません。

纒向遺跡では、遺構の「見える化」を図る工事が行なわれ、埋め戻された3つの建物跡に計65本の杉柱が立てられています。

「桜井市立埋蔵文化財センター」には纒向遺跡を中心として市内で発掘された膨大な埋蔵文化財を収蔵、纒向遺跡の知識をインプットすることが可能。
学芸員の丁寧な説明を聞くこともでき、邪馬台国へ一歩近づくことができます。

纒向遺跡
桜井市埋蔵文化財センターに展示される出土した搬入土器

纒向遺跡が「邪馬台国の王都」の理由

  • 3世紀初頭に突如出現し、4世紀初めに営まれた大規模な集落跡(東西2km、南北1.5kmという広大な遺跡)
  • 3世紀としてはほかに例がない規格性のある建物群が出土
  • 前身となる弥生時代の集落跡がなく、突如として巨大な集落(古代都市)が出現
  • 東海系をはじめ、南関東から北部九州にいたる広範囲な地域から搬入された土器が、地点によっては15%〜30%を占め、倭国の広域での交流が確認できる
  • 箸墓古墳を代表にして、纒向石塚古墳、矢塚古墳、勝山古墳、東田大塚古墳、ホケノ山古墳、南飛塚古墳など都市構築と同時期となる発生期古墳(前方後円墳)が数多く築かれている
  • 遺跡から農耕具がほとんど出土せず、土木工事用の工具が圧倒的に多い
  • 水田などの農業遺構がなく、纒向大溝(幅5m、深さ1.2mの運河または水路)が縦横に走り、行政機関のような建物が出土し(4棟の建物が軸線をそろえて東西に一直線に並んで)、「日本最初の都市」ともいえる(「3世紀の霞が関」とも)
  • 2000個以上の桃の種が出土し、祭祀との関連性が推測できる
  • 鍛冶に使った鞴羽口(ふいごはぐち)や鉄滓(てっさい=鉄を精錬する際に鉄以外の鉱石の成分が溶けて分離した不要な不純物)なども出土し、鉄器製作を行なっていたことも明らか

倭国・邪馬台国年表

年代内容
57年倭奴国王が後漢に使いを送り、光武帝より「漢委奴国王」の金印を受け取る
(志賀島出土の「金印」)
107年倭国王・師升らが後漢・安帝に使いを送り生口(せいこう)160人を献上
(生口=奴隷という説、奴隷ではないという説があります)
147年〜180年頃倭国大いに乱れる
189年頃諸国が共同で卑弥呼を立てて王とする(邪馬台国設立
239年卑弥呼、魏の皇帝に使いを送り「親魏倭王」の称号を受け取る
(金印、銅鏡などが卑弥呼に贈られる)
243年卑弥呼、魏の皇帝に再び使いを送る
邪馬台国と狗奴国(くなこく)の紛争続く
247年頃卑弥呼死去し、巨大な墓を造営(箸墓古墳?)
男王が立つものの、倭国を統治できず
250年頃男王に代わり、卑弥呼の一族の娘・壱与、女王となる
(この頃、ヤマト王権設立
266年頃壱与が魏に代わった西晋(せいしん)の都・洛陽に使者を送る
350年頃ヤマト王権が国内をほぼ統一
纒向遺跡
邪馬台国の王都、かなり有力な遺跡が奈良県に!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
纒向遺跡

纒向遺跡

古墳時代前期の大規模集落である奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむくいせき)。南東端に位置するホケノ山古墳は3世紀前半頃に造られた日本でも最も古い部類に属する前方後円墳。一帯には古墳時代初頭から前期に造られた古墳が数多く残され、ヤマト政権の重要な

箸墓古墳

箸墓古墳

奈良県桜井市にある古墳時代前期の大規模集落である纒向遺跡(まきむくいせき)の南端にある古墳が箸墓古墳(はしはかこふん)。墳丘長280m、3世紀後半に築造されたと推測される日本最古の大型前方後円墳です。卑弥呼(ひみこ)の墓ではないかと考える研

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ