奈良県橿原市(かしはらし)にある香具山(かぐやま=天香具山/152m)、畝傍山(うねびやま/198.5m)、耳成山(みみなしやま/139.3m)が大和三山で三角形を形成する中心に日本で初めての本格的な都として築かれた藤原宮跡があります。大和三山として国の名勝になっています。
古代のロマンを秘め、藤原京の場所を決めた大和三山
『万葉集』にある、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ/後の天智天皇)の歌「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻を あらそふらしき」は、恋の争いに関する歌で、香具山が女性で畝傍山・耳成山を男性とする説、畝傍山が女性で香具山・耳成山を男性とする説など、多様な解釈があります。
ただし、中大兄皇子が額田王(ぬかたのおおきみ)を弟の大海人皇子(おおあまのおうじ/後の天武天皇)と争ったというのは俗説で、単に三角関係に見立てたというのが現在の解釈です。
大和三山のうち香具山は、多武峰(とうのみね)山系から延びた尾根が浸食され、堅い岩盤の香具山だけが残されたもの。
天から降ってきたという伝承が残り、大和三山の中で最も神聖視された山で、天香久山(あまのかぐやま)と呼ばれるのもそのため。
大和三山の中で最も高い山である畝傍山は死火山、耳成山も死火山です(芯の部分だけが残っていることに)。
藤原宮(日本初の中国式の都城)を定めるにあたり、この大和三山のもたらす三角形の中心に置いたというのは、意図的だったと推測できます。
当時の推定人口は3万人ないし5万人ともいわれますが、わずか16年で廃都となっています。
藤原宮大極殿の通る子午線の延長上に、55km北に天智天皇陵とされる御廟野古墳(ごびょうのこふん)があり(天智天皇陵中心の東36mに大極殿の子午線が通過)、671年に崩御の天智天皇(大和三山の歌を歌った中大兄皇子)、持統天皇8年12月6日(694年12月27日)に天皇が藤原宮に移ったことを考えると、藤原宮の場所と、天智天皇陵の位置には偶然では説明のつかない関連性があります。
大和三山
天香久山(香久山)
所在地:奈良県橿原市南浦町
標高:152m
成因:多武峰からの稜線(竜門山地)の末端が風化、浸食から残った残丘
備考:北麓には、天香具山神社、南麓には天岩戸神社が鎮座
持統天皇の歌「春過ぎて夏来るたるらし白妙の衣ほしたり天のかぐ山」(巻1-28)
畝傍山
所在地:奈良県橿原市大谷町
標高:198.5m
成因:死火山(火山の芯の部分のみ残存)
備考:大和三山風景林に指定
南麓には橿原神宮(かしはらじんぐう)、北麓に神武天皇陵、東麓に東大谷月女命神社(ひがしおおたにひめのみことじんじゃ=神武天皇の后・姫蹈鞴五十鈴媛命を祀る)
雲根火山(うねびやま)とも記されるのは、古代の人が火山だと知っていた?
耳成山
所在地:奈良県橿原市木原町
標高:139.3m
成因:死火山(火山の芯の部分のみ残存)
備考:山頂に天神社(耳成山口神社)が鎮座
大和三山のうちではもっとも端整なフォルムの山
大和三山とは!? | |
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