白糸の滝(最上川)

最上川の本流に落ちる白糸の滝は、『奥の細道』途中の芭蕉も舟下りの舟の中から眺めた景勝地。「五月雨を集めて早し最上川」は、芭蕉が舟下りで詠んだ名句で、『奥の細道』には、「白糸の滝は青葉の隙々(ひまひま)に落ちて、仙人堂、岸に臨みて立つ。水みなぎって舟危(あやふ)し」と記しています。白糸の滝は、「日本の滝百選」にも選定。

芭蕉も舟上から眺めた優美な滝

芭蕉が眺めた白糸の滝はこんな感じだった!?
白糸の滝の冬景色

芭蕉は本合海(もとあいかい)で乗船し、清川で下船していますが、その間の最上川で随一の景勝が白糸の滝。
最上川芭蕉ラインの舟下りを利用すれば、今も木の間隠れに白糸の滝を眺めることができ、往時とほとんど変わらない風景を目にすることができます。

白糸の滝の落差は124m、全長は223m。河岸段丘の上部からの湧水のため、日照りが続いても水枯れはしません。

芭蕉が最上川の舟下りを楽しんだのは、旧暦の6月3日(西暦7月19日)。
つまり、芭蕉と同じ雰囲気の最上川や白糸の滝を見てみたい場合には、7月19日頃を旅する必要があります。
名句「五月雨(さみだれ)を集めて速し最上川」の五月雨イメージから5月と勘違いするケースもありますが、五月雨とは旧暦5月の梅雨のこと。

紅葉も人気で、例年、紅葉の見頃は10月下旬~11月上旬頃です。

室町時代に記されたとされる『義経記』によれば、兄・源頼朝の追討を逃れ平泉に向かう途中、1187(文治3)年に最上川を遡ったとされてます。
越前国(福井県)から日本海沿いに北上し、鼠ヶ関(ねずがせき)から出羽国に入ったと推測できます。
弁慶のみ羽黒山を参詣し、津川で弁慶と再度落ち合った一行は舟で最上川を遡上。
「最上川 瀬々の岩波 堰き止めよ 寄らでぞ通る 白糸の瀧」は北の方(義経の正妻)が詠んだと伝わる歌です。

紅葉の最上峡と白糸の滝

『奥の細道』と最上川

芭蕉が『奥の細道』に旅だった1689(元禄2)年は、西行の没後500年にあたる年。
みちのくの歌枕に憧れた西行の旅を追体験するため、芭蕉は門人の曾良をともなって、旧暦3月27日(西暦5月16日)、江戸・深川を出発。
出羽国(でわのくに=山形県)に入って封人の家に泊まった(「蚤虱 馬の尿する 枕元」)のは旧暦5月15日(7月1日)のこと。
旧暦5月17日(7月3日)に山刀伐峠(なたぎりとうげ)を越え、尾花沢を経て、旧暦5月27日(7月13日)に立石寺へ参詣(閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」)。
旧暦5月28日(7月14日)、大石田で名句「さみだれを 集めてすずし もがみ川」(後に「五月雨を集めて速し最上川」に改)を詠んでいます。
旧暦6月3日(7月19日)、本合海(現・新庄市本合海)の川湊で、最上川舟運の舟に乗船。
芭蕉と曾良は、出手形(通行手形)を差し出すために古口でいったん下船し、新庄藩の番所に提出(出手形を持たない旅人は新庄藩領から庄内藩領へと出国できませんでした)。
その後芭蕉は清川に上陸し、出羽三山を巡礼し鶴岡・酒田、象潟へと向かい、旧暦8月21日(10月4日)にゴールである大垣に到着しています。

芭蕉と曽良
白糸の滝(最上川)
名称白糸の滝(最上川)/しらいとのたき(もがみがわ)
所在地山形県最上郡戸沢村古口
関連HP戸沢村観光物産協会公式サイト
電車・バスでJR古口駅、高屋駅から徒歩1分
ドライブで尾花沢新庄道路新庄ICから約24.5km。または、日本海東北自動車道酒田ICから約27.8km
駐車場白糸の滝ドライブイン駐車場(120台/無料)
問い合わせ戸沢村観光物産協会 TEL:0233-72-2110/FAX:0233-72-2116
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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