亀岡文殊(大聖寺)

亀岡文殊(大聖寺)

奈良県桜井市の安倍文殊院(あべもんじゅいん)、京都府宮津市の智恩寺(切戸文殊)と並び「日本三文殊」に数えられるのが山形県高畠町の亀岡文殊(大聖寺)。東北地方には、数少ない合格祈願、学業成就のパワースポットになっています。松高山大聖寺(しょうこうざんだいしょうじ)が正式名で、真言宗智山派の古刹です。

東北で生きる、学ぶ知恵を授けてくれる随一のパワースポット

東大寺やら興福寺で学び、大同元年(806年)に会津に清水寺などを創建した徳一上人(とくいつしょうにん)が、大同2年(807年)、平城天皇(へいぜいてんのう)の勅命を受けて、中国五台山より伝来した文殊菩薩をこの地に奉安したと伝えられています。
徳一上人には同年、会津に福満虚空蔵尊(圓蔵寺)を開創しているので、当時、会津や出羽で精力的に寺を築いたことがわかります。

天正19年(1591年)、伊達政宗が米沢城を去る時、資福寺の古鐘を寄進するなど、中世から近世には武将の尊崇を受けていました。
慶長7年(1602年)2月27日には直江兼続(なおえかねつぐ)が歌会を催しています。

大聖寺本坊には、大日如来が本尊として祀られ、檜の寄木造漆箔像の木造聖観世音菩薩立像(山形県の文化財)と木造如来形立像2体が安置されています。

現存する文殊堂は、大正3年の再建で、山形県米沢市出身で、平安神宮や明治神宮の設計でも知られる建築家・伊東忠太の設計。
高さ29cmの木造文殊菩薩騎獅子像(秘仏本尊)が祀られています。

文殊堂で願い事を祈願しますが、「文殊の知恵」といわれるのは、単に学業だけでなく、生きていくための生活の知恵を授けてくれるとのこと。

文殊堂の横に建つ観音堂と、参道脇の鐘楼堂は、享保年間(1716年〜1736年)、待定坊の発願によって建立。
観音堂には木造阿弥陀如来立像と西国三十三観音像、木造弘法大師坐像が祀られています。
護摩堂に祀られる本尊・木造不動明王坐像は平安時代の作で、大聖寺の歴史を裏付けています。

宝物館にもは仏像、書画、工芸品などが多数収蔵されています。

亀岡文殊(大聖寺)
名称亀岡文殊(大聖寺)/かめおかもんじゅ(だいしょうじ)
所在地山形県東置賜郡高畠町亀岡4028-1
関連HP亀岡文殊公式ホームページ
ドライブで東北自動車道米沢北ICから約10km
駐車場あり/無料
問い合わせ亀岡文殊(大聖寺) TEL:0238-52-0444
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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