能成寺

能成寺

山梨県甲府市東光寺町、武田信玄の父・武田信虎(たけだのぶとら)の曽祖父である武田信守(たけだのぶもり)が貞和年間(1345年~1349年)に開き、菩提寺としたのが臨済宗の能成寺(のうじょうじ)。もともとは八代郡(現・笛吹市)にあり、信玄が甲府五山を定めて府中(甲府)に移っています。

甲府五山で、武田信玄の発した制札が残される

能成寺

武田信玄が能成寺を甲府五山に定め、府中に移した際には、現在の東青沼(現・甲府市宝町)にありましたが、 天正11年(1583年)、徳川家康の命で甲府城が建設される際、現在地(東光寺町)に移転しています。
これは、近世の城郭のセオリーで、防御的な場所(甲府城の東側)に寺を配置したもの。
昭和20年の甲府大空襲で伽藍を焼失し、今ある堂宇は戦後の再建です。
寺の石垣は、よく見ると穴太積み(あのうづみ)。
これも甲府城建設に伴って、移されたという史実を物語っています。
つまり、往時の甲府城の石垣もこの穴太積みだったと推測されるのです。

能成寺には天文11年12月12日(西暦だと1543年1月17日)という日付の入った武田信玄の発した制札が残されています。
武田家の家督を継いだ信玄が、その勢力を寺社に示すために発布したもので、境内での殺傷は禁ずる程度の内容。
家臣だけでなく、寺社をも従えようという苦心を垣間見ることができます。

また豊臣政権下の天正19年(1591年)、甲斐国24万石を守備する加藤光泰(かとうみつやす)の発布した「加藤光泰禁制」も現存。
甲斐国は徳川家康を睨む要衝で、要害城などの整備も進めたほか、久遠寺などの領内の主要寺院を従えていったのです(甲斐入国後、寺社領の安堵や寄進、諸役免除などを実施)。
また、境内には寺を開基した武田信守の供養塔のほかに、大石内蔵助と対立した赤穂浪士・大野九郎兵衛の墓(伝承)がありますが、大野九郎兵衛の墓に関しては真偽は不明です。

武田信玄が京都五山や鎌倉五山に倣って定めた甲府五山(府中五山)は、能成寺(武田氏第15代当主・武田信守の墓)のほか、東光寺(息子・武田義信の墓)、長禅寺(大井夫人の墓)、円光院(正室・三条夫人の菩提寺)、法泉寺(ほうせんじ/息子・勝頼が中興開基で、勝頼の歯髪を埋葬)の5ヶ寺。
能成寺から東光寺へは東に徒歩10分、長禅寺へは西に15分(円光院と法泉寺は北に離れています)。

能成寺
武田信守の供養塔
能成寺
名称 能成寺/のうじょうじ
所在地 山梨県甲府市東光寺町2153
関連HP 甲府市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR金手駅から徒歩10分、JR甲府駅からは徒歩20分
ドライブで 中央自動車道甲府昭和ICから約6.5km、または一宮御坂ICから約12km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 能成寺 TEL:055-233-9396
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
東光寺

東光寺

山梨県甲府市東光寺にある臨済宗妙心寺派の寺で、甲府五山に数えられるのが、東光寺(とうこうじ)。寛元4年(1246年)、南宋からの渡来僧で鎌倉に建長寺を建立した蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の再興の名刹。蘭渓道隆ゆかりの見事な池泉鑑賞式庭園も

長禅寺

長禅寺

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円光院

円光院

山梨県甲府市岩窪町にある臨済宗妙心寺派の寺、円光院。永禄3年(1560年)、武田信玄が、京から説三和尚を迎えて開山した寺で、信玄が定めた甲府五山のひとつ。寺の名は元亀元年7月28日(1570年8月29日)に没した三条夫人の法名に由来していま

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山梨県甲府市和田町にある臨済宗妙心寺派の寺が武田信玄が定めた甲府五山のひとつ、法泉寺。室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)に仕え、尊氏の信任を得て尊氏の姪を妻とした武田信武(たけだのぶたけ)の開山。信武は、信玄から数えて9代前にな

甲府五山とは!?

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山梨県甲府市にある、武田信玄が、鎌倉五山、京都五山などの禅宗(臨済宗)の五山制度に倣い、甲府に定めた5ヶ寺の禅宗寺院が甲府五山。武田信玄の母・大井夫人の菩提寺である長禅寺を筆頭に、能成寺、東光寺、円光院、法泉寺の五山(5ヶ寺)です。長禅寺→

 

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