山梨県甲府市上積翠町にある臨済宗妙心寺派の寺が積翠寺(せきすいじ)。武田氏の詰城(つめじろ=敵方に包囲された際の最後の砦)である要害城の山裾にある城で、境内の巨石から泉が湧き石水寺と呼ばれた寺。武田信玄誕生の地ともいわれ、産湯を汲んだ「信玄公産湯の井戸」や産湯天神があります。
要害城の山裾にあり、武田信玄誕生の地と伝承
武田信玄の居館でもあった武田氏館跡(武田神社)の裏手から北側を眺めると尖った山があることに気がつきます。
これが、いざというときに立てこもる要害山。
信玄の父、武田信虎(たけだのぶとら)は、永正16年(1519年)、躑躅が崎(つつじがさき=現・武田神社)に居館を築いた際、詰城の要害城を築いています。
本格的な城をもたなかった武田氏ですが、いざという守りのために、要害城を用意し、領土内の各地や支城、そして前線とは狼煙(のろし)を使ったネットワークで結ばれていました。
駿河勢、上杉軍襲来などの情報は、この狼煙ネットワークを使って、府中(甲府)へともたらされたのです。
武田信玄が生まれたのは、館ではなく、この要害山の山腹にある積翠寺(せきすいじ)もしくは要害城。
信玄は、要害山への避難時に生まれているのです。
信玄が誕生した時、ちょうど駿河の今川氏親(いまがわうじちか=今川義元の父、妻は後世「女戦国大名」といわれた寿桂尼=藤村志保)の配下である福島正成が甲州に侵攻し、武田軍と激戦を展開中だったのです。
武田信虎(平成19年の大河ドラマ『風林火山』では仲代達也)の正室である大井夫人(大河ドラマ『風林火山』では風吹ジュン)は要害山(標高780m)にあった山城・要害城へと避難し、信玄を生もうとしますが、あまりの急な山城のため入城を断念、その麓にあった積翠寺でお産をしたと伝えられています。
大永元年11月3日(1521年12月1日)にこの積翠寺で信玄が誕生。
本堂裏手にはひっそりと、「信玄公産湯の井戸」が残されています。
積翠寺(武田信玄生誕の地)→武田神社(武田氏居館跡)→大泉寺(父・武田信虎の菩提寺)→信玄公墓所(信玄の遺体を火葬した火葬塚と伝えられる地)は、信玄の一生をたどる歴史探訪のコースになっています。
積翠寺 | |
名称 | 積翠寺/せきすいじ |
所在地 | 山梨県甲府市上積翠寺町984 |
関連HP | 甲府市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR甲府駅から山梨交通バス武田神社経由積翠寺行きで13分、終点下車 |
ドライブで | 中央自動車道甲府昭和ICから約10km、または一宮御坂ICから約17km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 積翠寺 TEL:055-252-6158 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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