田原の滝

田原の滝

山梨県都留市、富士急行線十日市場駅近くを流れる桂川の本流に懸かる段瀑が田原の滝。谷村(やむら)に滞在した松尾芭蕉が「勢あり 氷柱消えては 滝津魚」と詠んだ滝で、富士山から流れ出た溶岩流に懸かる滝です。護岸工事や砂防堰堤工事などで往時の姿は失われていますが、風情ある雰囲気は残されています。

現在の滝は平成18年に修景復元されたもの

田原の滝
復元された滝とは思えない完成度

すぐ近くを国道139号とその旧道、そして富士急行線が通り、桂川沿いに入った田原の滝公園に駐車場とトイレが整備されています(マイクロバス以上の車両は転回できないため駐車不可)。
富士急行線を走る電車と田原の滝のツーショットを狙えるので、鉄道ファンにも人気が。

8500年前~7700年前に流れた桂溶岩流の末端に懸かる滝。
桂溶岩流は、8500年前に流出し、現・大月市猿橋まで到達した猿橋溶岩流を迂回するように桂川の北側を流れ、十日市場まで到達しています。
桂川は溶岩で埋め尽くされ、蒼竜峡や田原の滝を生んでいます。

溶岩流の柱状節理が発達し、雪解け水や富士の湧水が飛沫(しぶき)をあげて落下する様からら白根の滝、白滝とも呼ばれ、上段、下段の2段のうち、下段の滝は落差20mにも及びます。

実はこの滝には、時代の変遷が隠され、明治31年に両岸が崩落し2段のうち1段が消滅、大正12年の関東大震災以降はさらに崩壊が進んで滝の位置が30mほど後退。
昭和33年、周辺の人家や公共施設の安全を確保するために高さ0mの砂防堰堤が設置され、砂防設備の老朽化を契機に、平成18年、最新の土木技術を使って往時の姿を取り戻したもの。

平成の名水百選選定の「十日市場・夏狩湧水群」の一角にあり、田原の滝公園は湧水群を巡る散策コースの出発拠点として都留市が整備した公園です。

田原の滝
柱状節理風の護岸も

松尾芭蕉の谷村(現・都留市)滞在と田原の滝

天和2年12月28日(1683年1月25日)、駒込の大円寺から出火した天和の大火(てんなのたいか)で、松尾芭蕉は隠棲していた芭蕉庵を焼き出され、弟子の芳賀一晶とともに門人である甲斐谷村藩(かいやむらはん)の国家老・高山傳右衝門(たかやまでんえもん/俳名:麋塒・びじ)に招かれ谷村に滞在しています。

滞在中は「桃林軒」と名付けた高山傳右衝門邸の離れで過ごし(山梨県立富士女性センター前に「芭蕉流寓跡」石碑が立っています)、「ちるほたる沓にさくらを拂ふらむ 」(つるの子公園に句碑)、「夏馬の遅行我を絵に看る心哉」、「深川の松も泣くらむ 雪の梅」(桃林軒に句碑)、「名月の夜やさぞかしの宝池山」(月待ちの湯・露天風呂横に句碑)など谷村周辺で名句を残しています。
また、『野ざらし紀行』の際にも木曽街道から甲州街道経由で江戸に入る前、谷村で高山傳右衝門に会っています。

芭蕉の「勢あり 氷柱消えては 滝津魚(たきつうお)」は、富士山の雪解けで増水した桂川の清流に、踊る魚とともに春の訪れを喜ぶ心情を詠んだもの。

田原の滝を望む旧道の佐伯橋(土木学会選奨土木遺産)のたもとには昭和23年建立、飯田蛇笏(いいだだこつ)揮亳の句碑が立っています。

田原の滝
名称 田原の滝/たはらのたき
所在地 山梨県都留市十日市場1527
関連HP 都留市公式ホームページ
電車・バスで 富士急行線十日市場駅から徒歩5分
ドライブで 中央自動車道都留ICから約3.5km
駐車場 8台/無料
問い合わせ 都留市産業課 TEL:0554-43-1111/FAX:0554-43-5049
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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