日本100名城 甲信越9城

甲州=山梨県、信州=長野県、越後=新潟県の甲信越エリアの「日本100名城」は全部で9城。戦国時代は、武田信玄の甲斐、上杉謙信の越後、そして信玄の侵攻により信玄と謙信が激突した信濃という激動の時代でしたが、江戸時代には信濃も越後も多くの藩が立藩し、それぞれの藩庁としての城が築かれています。

山梨県の名城

山梨の名城は戦国時代の甲斐国の覇者、武田信玄の館だった躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)と、藩政時代に甲府藩の藩庁となった甲府城です。
躑躅ヶ崎館は現在、武田神社となっています。甲府駅近くに位置する甲府城は中央本線によって分断されていますが、公園となって復元が進んでいます。

武田氏館(武田神社)

「人は城、人は石垣、人は堀」という武田信玄ゆかりの城

所在地:山梨県甲府市古府中町2611
旧国名:甲斐国
築城年:永正16年(1519年)、甲斐国を統一した武田信虎(武田信玄の父)が築城
内容:躑躅ヶ崎館(武田氏館)を築き、家臣団が集住して武田城下町が形成されたのが、甲府市発展の始まり(映画、そして大河ドラマ『風林火山』でおなじみの信玄の居館)
甲斐国守護武田氏の居館跡で、「武田氏館跡」として国の史跡に指定
武田信虎は、いざというときのために「詰の城」として永正17年(1520年)、武田信虎は要害山城も築いています

武田神社(躑躅ヶ崎館跡)

大正8年、武田信玄を祭神として創建された神社で甲斐の国の総鎮守。場所は武田信虎、信玄、勝頼の武田氏3代、63年間の居城だった、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡。1575(天正3)年に長篠の合戦で大敗した勝頼が、館を捨て、新府城に移るまで武

要害山城

要害山城

山梨県甲府市にある中世の山城が要害山城(ようがいやまじょう)。武田氏館、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた=現在の武田神社)の詰城(つめのしろ)として要害山に築かれた城で、永正17年(1520年)、武田信玄の父、武田信虎(たけだのぶとら)の築城

甲府城

近世、甲府藩の藩庁だった城は甲府駅近くに

所在地:山梨県甲府市丸の内1丁目地内
旧国名:甲斐国
築城年:天正11年(1583年)、徳川家康の命により平岩親吉(ひらいわちかよし/徳川十六神将)が築城を開始
内容:甲府市にある2城目の日本100名城は、甲府藩の藩庁となった近世の城郭
舞鶴城(まいづるじょう)とも呼ばれる美しい城で、江戸城に危急の事態が起こった際に、将軍家が逃げ込むことを想定していました
築城を命じたのは徳川家康といわれていますが、豊臣時代のことで、家康の関東移封に伴い豊臣秀勝(豊臣秀吉の甥)が城主になっています
甲府駅にも近い本丸一帯は舞鶴城公園として整備

甲府城

甲斐国の府中という意味で武田信虎が居館を躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)に移した際に甲府と名付けられましたが、現在の甲府駅近くにある甲府城は、豊臣時代に築城以降の近世の城跡。江戸時代には徳川家の西への守りとして機能しました。本丸一帯は舞鶴城公園

長野県の名城

信州(信濃国)と総称される長野県ですが、実は江戸時代には途中途絶を含めてなんと大小計19藩が置かれていました。
廃藩置県の時点でも松本藩、上田藩、松代藩、飯山藩、小諸藩、岩村田藩、龍岡藩(田野口藩)、高島藩、高遠藩、飯田藩、須坂藩と11藩が立藩。
幕府から正保国絵図の作成を命じられた藩は、松代藩、上田藩、飯山藩、松本藩、飯田藩の5藩です。
そんな信州で日本100名城に選定されるのは松代城、上田城、小諸城、松本城、高遠城の5城。
諏訪湖の「浮城」といわれた高島城、飯田城、飯山城、「五稜郭」の龍岡城も選に漏れる激戦区となっています。

松代城

武田信玄が川中島合戦の直前に築城、江戸時代には松代藩の藩庁に

所在地:長野県長野市松代町松代44
旧国名:信濃国
築城年:永禄3年(1560年)、武田信玄が上杉謙信に対抗する拠点として築城(『甲陽軍鑑』によれば山本勘助の築城)
内容:海津城とも呼ばれ、江戸時代にはNHK大河ドラマ『真田丸』にも登場の真田信之(演じたのは大泉洋)が上田から転封し、明治維新まで松代藩・真田家の居城(松代藩の藩庁)となりました
松代城公園として整備されていますが、六文銭の旗が立っているのはそのため
永禄4年(1561年)9月、上杉謙信が川中島へ侵攻し、有名な第四次川中島の合戦(八幡原の戦い)が起こっていますが、海津城城代・春日虎綱(高坂昌信)は籠城し、信玄本隊の到着を待っています

松代城

松代城(海津城/かいづじょう)は武田信玄と上杉謙信が相まみえた川中島合戦の際、1560(永禄3)年に信玄の拠点として築かれ、1622(元和8)年からは真田氏の居城となった城。『甲陽軍鑑』によれば山本勘助の築城。松代城公園となった一帯は国の史

上田城

真田幸村の父が築城した真田氏の居城

所在地:長野県上田市二の丸3-17
旧国名:信濃国
築城年:天正11年(1583年)、真田昌幸(真田幸村の父)が築城
内容:真田昌幸が築城し、その子・真田信之が初代の藩主となったのが上田城で、まさに大河ドラマ『真田丸』の真田家の本拠地です
関ヶ原の合戦時には徳川秀忠率いる徳川軍の本隊を大いに手こずらせ、秀忠の関ヶ原到着遅れを招いています
現在の城郭は真田氏の次に上田藩主となった仙石忠政によって江戸時代初期に修築されたもの

上田城(上田城跡公園)

1583(天正11)年、真田昌幸が築城した上田城。現在の城郭は真田氏の次に上田藩主となった仙石忠政によって江戸時代初期に復興されたもの。城跡は現在、ケヤキ並木が囲む「上田城跡公園」として整備されています。関ヶ原合戦の際に、徳川秀忠率いる大軍

小諸城

大手門よりも本丸が低い位置にある「穴城」

所在地:長野県小諸市丁311
旧国名:信濃国
築城年:天文12年(1543年)、武田信玄は小諸・鍋蓋城を攻略し、山本勘助に縄張りを命じて新城(小諸城)を築城
内容:武田信玄の信濃攻略の拠点となった城で、関ヶ原合戦時の上田攻めでは徳川秀忠が小諸城二の丸に本陣を構えています
小諸城が、現在残るような近世的な城郭になったのは天正18(1590年)、仙石秀久の入城後
大手門よりも本丸が低い位置にあるため、「穴城」と呼ばれています
明治13年に「懐古園」となり、大正15年に本多静六の設計により、近代的な公園として整備されています

懐古園(小諸城址)

小諸駅の西側に位置する懐古園は、小諸城の城跡。信玄の軍師だった山本勘助が縄張りしたという小諸城は、城下町よりも一段低い位置に築かれた珍しい「穴城」。11の丘と12の谷で構成される19万平方メートルの広大な城跡公園となっており、春は桜の名所、

松本城

国宝5天守のひとつで、5層天守閣としては日本最古の城

所在地:長野県松本市丸の内4-1
旧国名:信濃国
築城年:永正年間(1504年〜1520年)に、信濃守護・小笠原氏が林城を築城し、その支城として深志城が築城されたのが始まり
内容:藩政時代には松本藩の藩庁となった北アルプスを眺める美しい城
現存する国宝天守は、石川数正時代の文禄2年(1593年)〜文禄3年(1594年)と推測されますが、諸説あり定かでありません
現存12天守の中では唯一の平城
二の丸、本丸部分が公園となっており、本丸御殿と二の丸御殿は礎石が残されています残念ながら三の丸は市街化され、外堀もほとんど埋め立てられています

国宝松本城

5層天守閣としては日本最古の城。築城は1504(永生元)年ですが、5層天守閣となったのは1593〜1594(文禄2〜3)年のこと。鉄砲や矢を放つ狭間(さま)も117ヶ所も設けられ、実戦を意識した設計であることがよくわかります。本丸、二の丸一

高遠城

「天下第一のさくら」と、桜の名所として名高い城

所在地:長野県伊那市高遠町東高遠
旧国名:信濃国
築城年:築城年は不明で、戦国時代に諏訪氏一門の高遠頼継(たかとおよりつぐ)の居城
内容:江戸時代には高遠藩の藩庁だった城
戦国時代には高遠氏の拠点で、その後は武田信玄の伊那侵攻の拠点としても機能しました
ここから天竜川沿いに下れば、三河の長篠城です
有名な1500本のコヒガンザクラのルーツは、明治8年に旧藩士が馬場にあった桜を移植したもの

高遠城址公園

高遠城(たかとおじょう)は、武田氏が伊那侵攻の拠点とした城。江戸時代に入り、上伊那の城の大半が廃されましたが、明治維新まで大名の居城として残されました。城跡には、1500本のコヒガンザクラが植えられ、全国でも屈指の桜の名所で、「日本さくら名

新潟県の名城

江戸時代の越後国には、高田藩、糸魚川藩、椎谷藩、長岡藩、与板藩、村上藩、新発田藩(しばたはん)、三日市藩、黒川藩、村松藩、三根山藩さらには陸奥上山藩、陸奥会津藩、伊勢桑名藩などの「飛び地」や天領もあって複雑。そんな越後で100名城に選ばれているのは、新発田藩の新発田城と中世(藩政時代以前)に上杉家の居城だった春日山城です。

戊辰戦争で越後の諸藩は、幕府方の奥羽越列藩同盟を結成し、新政府に対し最後まで抵抗姿勢を示したため、北越戦争で長岡城は焼失。
本丸跡の東部分に長岡駅が開業したので、本丸に新幹線駅があるという状態になっています。
そのため長岡城は形状が壊滅的に失われ、日本100名城、続日本100名城どころか史跡指定もありません(長岡駅付近が本丸跡、アオーレ長岡付近が二の丸跡)。

新発田城

溝口氏が藩主を務めた新発田藩の藩庁

所在地:新潟県新発田市大手町6-4
旧国名:越後国
築城年:初代の新発田藩主・溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が慶長3年(1598年)に築城を開始、3代藩主・溝口宣直(みぞぐちのぶなお)の代の承応3年(1654年)に完成
内容:城郭の所要な部分が陸上自衛隊の基地となっているちょっと風変わりな城が新発田城
三階櫓も復元されてはいますが、基地内のため見学はできません
二の丸隅櫓・本丸表門・辰巳櫓は内部の見学が可能

新発田城

新発田藩10万石の政庁となった城で、新潟県内では唯一、江戸時代の遺構が現存しています。初代の新発田藩主・溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が1598(慶長3)年に築城を開始、3代藩主・溝口宣直(みぞぐちのぶなお)の代の1654(承応3)年に完成し

春日山城

春日山山頂に築かれた難攻不落の城で、上杉謙信の居城

所在地:新潟県上越市中屋敷
旧国名:越後国
築城年:越後守護・上杉氏の要害(ようがい)として南北朝時代の14世紀末に築城
内容:長尾為景、長尾晴景、長尾景虎(上杉謙信)、上杉景勝と4代にわたる長尾家(上杉家)の居城
上杉謙信の居城としてNHK大河ドラマ『天と地と』の舞台にもなっています
福島城の築城で廃城となっていますが、その福島城も高田城の築城で、短い運命の城となっています
日本五大山城のひとつで、現在山頂に本丸跡が残り、本丸からは頸城平野(くびきへいや)を眼下に、日本海を眺望

春日山城

戦国の名将・上杉謙信が居城を構えた春日山。もとは越後守護・上杉氏の要害(ようがい)として南北朝時代の14世紀末に築かれ、守護代である長尾高景(ながおたかかげ)が住んだ鉢が峰城が前身。長尾為景、晴景、長尾景虎(上杉謙信)、上杉景勝と4代にわた

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