名古屋陶磁器貿易商工同業組合の事務所として昭和7年に建てられたレトロな建物。名古屋の陶磁器生産が全盛だった時代の優雅な建物で、1階には素敵な陶磁器が展示されています。スクラッチタイル貼りの外観、アールデコ調の館内とハウスウォッチングを目的にしても楽しいでしょう。
かつて日本の輸出を支えた名古屋の陶磁器を知る
昭和8年〜9年頃には日本全輸出陶磁器の80%を生産していました。
江戸時代に武家屋敷が並んだこの地に陶磁器産業が発展したのは、陶磁器の輸出の主流が下絵・染付けから上絵付けへと変化した明治時代以降に、武家屋敷跡地という大きな土地が入手しやすかったこと、そして城下町を支えた堀川(名古屋城築城の際に築かれた運河)の水運をそのまま使って名古屋港まで製品を運ぶことができたから。
藩政時代の武家屋敷街は、近代になってものづくりの中心地へ、さらには産業・通信・経済の拠点へと転身したわけです。
明治26年、森村組(日本の陶磁器産業を代表するTOTO、日本特殊陶業、日本ガイシ、ノリタケカンパニーリミテドなど森村グループの祖)の6代目・森村市左衛門(もりむらいちざえもん)が橦木町に東京、京都などから画工1000人を集め、上絵付けの工場を稼働、名古屋の陶磁器産業飛躍への土台がつくられました。
そんな名古屋城東側エリアの陶磁器絵付加工業の集約を背景に、井元為三郎は、明治30年、橦木町の南側にある飯田町(いいだまち)に陶磁器販売の井元商店を創業、明治36年には橦木町に倉庫・店舗を開業し、輸出にも力を入れ、サンフランシスコ、ニューヨークやアジアの各地に支店を開設するまでに発展を遂げています。
昭和7年に完成した名古屋陶磁器会館も井元為三郎の提言で建てられたもので、建物自体も国の登録有形文化財、名古屋市景観重要建造物に指定されています(井元為三郎の銅像も立っています。)。
必見は、輸出用の陶磁器が所狭しと並べられた1階のギャラリー、目の保養になるような素敵な作品を無料で鑑賞することできます。
連合軍による占領下時代に輸出した製品「Made in Occupied Japan」の裏印のある作品、
名古屋製陶所で戦前から戦後にかけてヨーロッパ向けに作られた高級なディナーウエアーなど、輸出用陶磁器作品の数々が展示されているのです。
名古屋で絵付けされた製品など、ミュージアムショップではここにしかない品を販売しているので、陶器好きならそれを目的に足を運ぶのもいいでしょう。戦前のもので、現品限りというものも多数!
「芸者透かしカップ」は、カップの底を光に透かすと、芸者さんの顔が現われるもの。手描きの陶器が数千円から数万円で販売されています。
名古屋陶磁器会館 | |
名称 | 名古屋陶磁器会館/なごやとうじきかいかん |
所在地 | 愛知県名古屋市東区徳川1-10-3 |
関連HP | 名古屋陶磁器会館公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄桜通線高岳駅から徒歩10分 |
ドライブで | 名古屋高速都心環状線東新町ランプから約2km |
駐車場 | 4台/無料 |
問い合わせ | 名古屋陶磁器会館 TEL:052-935-7841/FAX:052-935-9592 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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