愛知県瀬戸市、窯垣の小径(かまがきのこみち)途中にある洞(ほら)地区の本業焼(ほんぎょうやき)の窯元の家(旧寺田兼之丞家住宅)を再生して資料館として公開したものが、窯垣の小径資料館。窯垣の小径資料館の浴室やトイレの壁や床には「本業タイル」と呼ばれる陶板が張り詰めてあり、必見です。
「本業タイル」窯元の家を資料館に再生
「本業タイル」は、日本のタイルの原型で、陶板の素地に、絵柄を銅板転写し焼成したもの。
明治から昭和にかけて、洞地区で大量に生産されていました。
資料館周辺に椋の木が多いのはかつて、この木で天秤棒を作ったから。
残念ながら今では周辺の登窯もほとんどが姿を消したが窯場という雰囲気は色濃く残されています。
資料館の前を「窯垣の小径」が通っているから散策途中に立ち寄ることができ、館内ではボランティアスタッフが丁寧に解説してくれます。
本業焼、本業タイルとは!?
有田焼(佐賀県)では豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、朝鮮から陶工を連れ帰り、17世紀初頭から磁器の研究と生産が始まっていましたが、瀬戸でも享和年間(1801~1804年)に、磁器の製造が本格化しています。
瀬戸では磁器を「新製焼」(しんせいやき)、「染付焼」(そめつけやき)と呼び、従来からの陶器類を、本来の焼き物という意味で「本業焼」と呼び慣わしていました。
当時、瀬戸で陶業(本業焼)を営むことができたのは長男戸主に限られていましたが、「新製焼」に限っては次男、三男にも開業が許され、さらに本場の肥前で磁器を学んだ磁祖・加藤民吉(かとうたみきち)が文政7年(1824年)に没するまで、製造システムに改良を加え、磁器は陶器を凌ぐ生産をみせるようになったのです。
そこで奮起したのが「本業焼」で、茶陶、タイルなどの生産で瀬戸の実力を世界に示すようになりますが、その中心が洞地区。
さらにその洞地区で、窯元が生き残りをかけて生み出したのが「本業タイル」なのです。
禅宗の寺院などに見られる床に敷いた敷瓦を改良し、釉薬を施した陶器質のものを「本業敷瓦」と呼び、江戸時代から作られましたが、明治時代に輸入タイルの影響を強く受けて改良。
大正時代から洋風の「本業タイル」という呼び方が一般化しています。
窯垣の小径資料館のトイレは、染付便器と本業タイルで修景、浴室も本業タイルの窯元を偲ばせるものなので、注目を。
窯垣の小径資料館 | |
名称 | 窯垣の小径資料館/かまがきのこみちしりょうかん |
所在地 | 愛知県瀬戸市仲洞町39 |
関連HP | 瀬戸市観光情報公式サイト |
電車・バスで | 名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅から徒歩18分 |
ドライブで | 東海環状自動車道せと赤津ICから約4km |
駐車場 | 窯垣の小径駐車場(30台/無料、9:00〜17:00) |
問い合わせ | 窯垣の小径資料館 TEL:0561-88-2542 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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