西尾城の一部を復元した歴史公園。西尾城の前身は、承久の乱(1221年)の戦功によって三河国守護となった足利義氏(あしかがよしうじ)が築城した西条城。足利氏は吉良氏(きらし)と改め、吉良荘を統治。江戸時代に家康の命で酒井重忠が西尾城築城。その跡地が公園として整備され、本丸丑寅櫓などが再建されています。
西尾藩の中心、西尾城の城跡公園
戦国時代には領主も牧野成定、酒井正親、田中吉政と入れ代わりますが1561(永禄4)年に家康家臣の酒井正親が城主(家康直臣最初の城主)となったことからも、その重要さがわかります。
1585(天正13)年に徳川家康の命により、酒井重忠が西尾城が築城。
1601(慶長6)年に本多康俊が西尾2万石の藩主として入城し、その後は松平氏、本多氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏と大名を代え、1764(明和元)年に山形藩から大給松平氏(おぎゅうまつだいらし)が入城して6万石の居城となっています。
西尾の城下町の周囲を堀と土塁で囲む総構えになっていて、天守は二の丸にありました(現在は北半分が西尾市鶴城体育館になっています)。
本丸丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)は、本丸の丑寅(北東)の隅に建てられた櫓を平成8年に再建したもの。
再建された鍮石門(ちゅうじゃくもん)は、城主の居所である二の丸御殿(にのまるごてん)に至る表門。
歴史公園内には京から移築された旧近衛邸、昭和初期に米穀商・岩崎明三郎によって造られた京風庭園「尚古荘」(しょうこそう)、「西尾城・西尾藩」を常設展示する西尾市資料館などがあります。
『正保城絵図』に見る西尾城
正保城絵図(しょうほうしろえず)は、1644(正保元)年に徳川幕府(徳川家光)が諸藩の城持ち大名に命じて作成させた城下町の地図。
城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれています。
157点の正保城絵図があったことが記録に残りますが、現存するのは西尾城を含めて63点です。
『正保城絵図』からも二の丸に天守が建っていることがわかります。
西尾市歴史公園(西尾城) | |
名称 | 西尾市歴史公園(西尾城)/にしおしれきしこうえん(にしおじょう) Nishio City Historical Park(Nishio Castle) |
所在地 | 愛知県西尾市錦城町231-1 |
関連HP | 西尾市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄西尾駅から徒歩10分。または、六万石くるりんバス右廻りコースで16分、歴史公園西下車、徒歩3分 |
ドライブで | 東名高速道路岡崎ICから約21km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 旧近衛邸 TEL:0563-54-6758 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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