永禄3年5月19日(1560年6月12日)、織田信長が今川義元を討ったとされる桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)が行なわれた桶狭間古戦場は豊明市から名古屋市緑区にかけての一帯ですが、桶狭間の戦いの決戦の地というのは特定されていません。名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園は、「今川義元最期の地」と伝えられる場所(豊明市にも同様の場所が)。
名古屋市側にある桶狭間の戦い、決戦の地
桶狭間古戦場公園内には、「駿公墓碣」(今川義元の墓標)、馬繋ぎの杜松の木(うまつなぎのねずのき)、首洗いの泉、鞍流瀬川から発見された桶狭間古戦場の碑(文化13年=1816年の銘があります)などがあり、毎年戦死者の慰霊祭が行なわれています。
公園自体は桶狭間の戦い450年を機に整備されたもので、織田信長・今川義元両雄のブロンズ像、「近世の曙」石碑(「信長が中世から近世への幕を開けた」ということから建立)が立ち、桶狭間の戦いジオラマ解説板が置かれるなど近代的な都市公園になっています。
石碑なども土地区画整理事業によって公園内に移されたもの。
南側にある溜池の大池は、合戦当時からあるといい、池の東岸には今川軍の先発隊・瀬名氏俊陣地跡が残されています。
大池畔の長福寺も今川義元の首実検が行なわれたと伝わるゆかりの寺。
桶狭間の戦いの主戦場、決戦の地に関しては豊明市と名古屋市で長年論争を展開。
豊明市は、名鉄名古屋本線・中京競馬場前駅南側にある「桶狭間古戦場伝説地」が唯一の国指定史跡だとPRしています。
桶狭間古戦場公園 | |
名称 | 桶狭間古戦場公園/おけはざまこせんじょうこうえん |
所在地 | 愛知県名古屋市緑区桶狭間北3 |
関連HP | 名古屋市公式観光情報 |
電車・バスで | 名鉄有松駅から徒歩20分 |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 桶狭間古戦場観光案内所 TEL:052-755-3593 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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