前田速念寺は、庄内川沿いの尾張国海東郡前田村(現・愛知県名古屋市中川区前田西町)にある寺で前田城址。2代当主の前田長定は織田信長に仕え、速念寺の寺伝では前田利家はこの地で誕生している。通説では荒子城が生誕地ですが、利家の出生時に荒子城があったか疑問というのがその根拠になっています。
前田氏発祥の地で、前田利家生誕の候補地にも
初代城主の前田長規は、織田信秀の臣下として一柳庄を領し前田城を中心に東に荒子城、西に蟹江城、南に前田一色城を配していました。
前田城は、天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いで秀吉方についたため、家康方の攻撃を受け落城し、城主・前田与十郎は蟹江城で討死。
前田速念寺の創建は室町時代。
当初は天台宗でしたが、天文年間(1532年~1555年)に前田利家の叔父・前田利則(意休法師)が真宗(浄土真宗大谷派)に改宗しています。
住職は以来前田姓を継ぎ、前田一族の菩提を弔っているのです。
境内には前田家先祖(仲利・利成ほか)の墳墓と伝わる五輪塔3基も現存。
本尊は前田利家寄進の阿弥陀如来像(寄木造)。
金沢市に尾張町があるのは、前田利家が加賀に移ったとき、前田村の人も伴ったからと伝えられています。
前田利家の出生については、前田城で生まれ、7歳で荒子城に移ったという説と、荒子城で生まれ育ったという説があり、定かでありません。
前田城だとする説は、利家出生時に荒子城があったのかという疑問と、利家の身辺警護を荒子衆が担ったことで、荒子城出生説が生まれたのではないかとしています。
前田速念寺(前田城址) | |
名称 | 前田速念寺(前田城址)/まえだそくえんじ(まえだじょうし) |
所在地 | 愛知県名古屋市中川区前田西町1-904 |
関連HP | 名古屋観光コンベンションビューロー公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄伏屋駅から徒歩10分 |
駐車場 | 前田速念寺駐車場を利用 |
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