荒子城跡

荒子城跡

尾張国海東郡荒子村(現・愛知県名古屋市中川区荒子)に天文年間(1532年~1555年)に前田利春(前田利昌)が築城、その長男である利久、四男・利家、利家の長男・利長が相次いで居城した城の跡が荒子城跡(あらこじょうせき)。城跡は冨士大権現天満天神宮と公園になり、昭和4年建立の「前田利家卿誕生之遺址」の碑も立っています。

加賀藩の藩祖・前田利家の生誕地で『利家とまつ』ゆかりの城

荒子城跡

豊臣時代(関ヶ原の合戦時)の大名の31%が尾張国出身、江戸時代(幕末)の大名の56%が尾張・三河国出身。
つまりは藩政時代の大名の過半数が今の愛知県出身ですが、加賀百万石の前田利家はその筆頭でしょう。
その前田家の居城が、尾張国の荒子城。

前田利家の父・前田利春は、織田家家臣・林秀貞(はやしひでさだ=織田信長の後見役で筆頭家老)の与力として、織田氏に仕えています。
前田利春没後、家督は長男・前田利久が継ぎますが、永禄12年(1569年)、利久に実子がないためか、主君・織田信長の命により家督を弟の前田利家に譲っています。

前田利家は天文7年12月25日(1539年1月15日)に荒子城で生誕というのが有力な説ですが、生まれた年にも異説があり、さらに生誕地も同じ名古屋市内にある前田速念寺(前田城址=名古屋市中川区前田西町)も有力で定かでありません。

天正3年(1575年)、前田利家が柴田勝家の与力となって越前一向一揆の鎮圧に功を上げ、佐々成政(さっさなりまさ)、不破光治とともに越前府中10万石を与えられ、前田家の拠点が北陸へと移っています。

さらに天正9年(1581年)、子の前田利長も越前府中に移り、荒子城は廃城となっています。

古文書によれば荒子城の城郭は東西70m、南北50mほどで周囲に一重の堀を巡らしていました。
中世の居館を兼ねた城なので規模は大きくありません。

NHK大河ドラマ『利家とまつ』(平成14年放送)で松嶋菜々子演じるまつ(芳春院)は、尾張国海東郡沖島(現・愛知県あま市)の出身。
母の再婚で、まつは母の妹が嫁いでいる尾張荒子城主・前田利春(前田利昌)に養育され、この荒子城で利家と出会い、永禄元年(1558年)、数え12歳で前田利家に嫁いでいます。
長女・幸姫が生まれた時は、まだ満12歳でした。

現在ある冨士大権現天満天神宮は城内にあった冨士権現社と天満宮が合祀されたもの。
荒子城築城の際に城の鎮守として富士浅間権現(神仏習合時代の名称、現在の浅間神社)を勧請し、天満神(菅原道真)は、前田家が菅原道真の子孫と自称していたため祀られたもの。
ともに前田家ゆかりの神様です。

ちなみに前田利家が最も信頼した本座者(ほんざもの)といわれる「荒子衆」は旧荒子村の出身者。
金沢市にある尾張町は金沢城入城時に帯同した荒子村出身者が住んだともいわれています。

荒子城周辺は中世には伊勢神宮の御厨「一楊御厨」(いちやなぎみくりや=伊勢神宮の荘園)のあった場所。
庄内川の洪積地で、後に荒木、新城(あらき)と呼ばれた開拓地となり、荒子という名もそこから生まれています。

前田利家生誕の地
前田利家生誕の地を記した巨大な石碑

荒子城跡 DATA

名称 荒子城跡/あらこじょうせき
Ruins Of Arako Castle
所在地 愛知県名古屋市中川区荒子4-208
関連HP 名古屋観光情報公式サイト
電車・バスで 名古屋臨海高速鉄道荒子駅・南荒子駅、名古屋市営地下鉄高畑駅から徒歩10分
ドライブで 名古屋高速5号万場線烏森から約2.5km
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
前田速念寺(前田城址)

前田速念寺(前田城址)

2021年2月12日

 

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