武豊停車場跡

武豊停車場跡

明治19年3月1日に武豊〜熱田間に敷設された愛知県下最初の鉄道の起点駅が武豊停車場。明治16年8月6日に中山道沿いに鉄道を走らせるという中山道幹線(高崎〜大垣)の着工を内定し、その物資の搬入路として建設されたのが現在のJR武豊線(建設当初の名称は半田線)なのです。

東海道線建設物資を陸揚げするために開設された停車場

当初は神戸港から資材を船で運び、三重県の四日市港で物資を陸揚げし、四日市から大垣へ南北に鉄道を敷設する計画でしたが、測量の結果、木曽三川(揖斐川、長良川、木曽川)を渡るための橋の建設が必要であり、鉄道敷設に不向きであることが判明し、知多半島の鉄道敷設に変更されたのです。

こうして明治19年3月1日に武豊〜熱田間に鉄道(半田線)が開通したのです。
資材運搬が主目的でしたが、半田、亀崎、緒川、大高に駅が設置され、1日2往復の旅客輸送が行なわれ、武豊〜熱田間は1時間45分で結ばれました(武豊、半田、亀崎、緒川、大高、熱田は愛知県で最初に開業した駅)。

さらに中山道線よりも東海道線のほうが急勾配区間が少なく、距離が短いということで長州閥の井上勝(いのうえまさる)鉄道局長官の意見を採用して、明治19年7月19日、閣令第24号において幹線を中山道から東海道へ変更することが発表。
武豊停車場で陸揚げされた資材は東海道線の建設に使われることになったのです。
明治22年7月1日、東海道本線新橋〜神戸間が全通したことで、武豊停車場は当初の役割を終え、明治25年6月1日、現在の武豊駅の開業をもって廃止されています。

その後、昭和5年に貨物駅の武豊港駅として復活し、昭和40年8月20日に貨物支線の廃線とともに廃業となっています。

武豊停車場(武豊港駅)の跡地は、昭和2年の転車台が現存し、転車台ポケットパーク(愛称=回転ポッポ台)として整備されています。
その一角に「武豊停車場跡地」碑が立っています。

ちなみに、武豊線亀崎駅は、半田線(現・武豊線)開通時のままの駅舎とされ、日本最古の現役駅舎といわれています(明治28年3月7日に火災で焼失したとの説もあります)。

武豊停車場跡
名称 武豊停車場跡/たけとよていしゃばあと
所在地 愛知県知多郡武豊町忠白田地内
関連HP 武豊町公式ホームページ
電車・バスで JR武豊駅から徒歩12分。名鉄知多武豊駅から徒歩15分
ドライブで 南知多道路武豊ICから約3.4km
駐車場 武豊町地域交流施設駐車場を利用
問い合わせ 武豊町観光協会TEL:0569-73-1100
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
武豊線

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