長良川を眼前に美濃国(みののくに=岐阜県南部)に臨む尾張国の最前線に位置する犬山城(愛知県犬山市)。小高い丘の上に建つ天守は、2021年の柱などの用材の年輪年代測定で天正13年(1585年)〜天正18年(1590)頃にかけて、1階から4階までが一連で建設されたことが明らかに。「日本最古の天守」で、国宝になっています。
最新の研究、年輪年代測定で戦国時代の築城が明らかに!


「日本最古の天守」に関しては、松本城も候補でしたが、2021年に行なわれた犬山城の調査(年輪年代測定)で、天正13年(1585年)〜天正18年(1590)の築城であることが科学的に確認され、現存最古であることが裏付けられています。
1・2階通柱の伐採年が天正13年(1585年)、3・4階の当初材とみられる4階床梁の伐採年が天正16年(1588年)と判明。
これまでは、小笠原吉次(おがさわらよしつぐ)の時代に最初に2層の櫓を建築、元和6年(1620年)頃、尾張藩の付家老の成瀬正成(なるせまさなり)が2層の櫓の上に望楼をのせたというのが定説だったので、定説を大きく書き換えることになったのです。
天正13年(1585年)は、羽柴秀吉と徳川家康が尾張国(愛知県)で激突した、小牧・長久手の戦いの翌年。
犬山城主は、家康が味方した織田信雄(おだのぶかつ)方の中川定成(なかがわさだなり)の時代で、工事期間中には天正大地震に遭遇していたことも明らかです。
天守が完成したのは豊臣秀吉が天下を統一し、小田原攻めで後北条氏を滅亡させた翌年。
つまりは秀吉配下の石川貞清(いしかわさだきよ)の城となったのです。
入母屋造の大屋根の上に望楼がのったかたちは、まさに初期の天守、
天守の入口は、石垣南面にあり、石垣内(穴倉)にある地下2階、地下1階を経て、1階に出る仕組み。
1階は台形というのも、初期の望楼型の特徴。
1階の内部は、畳敷きの上段の間(書院造の座敷)を主室とする4室で、城主の居館という中世の様式を残しています。
石落しの間、武者走りも設けられるという実戦的な構造です。
2階は武具の間で武者走りも設置され、3階は破風の間です(外観に破風がある部分です)。
4階が望楼部分で、高欄の間というかたち。
望楼からは長良川を眼下に、城下を一望にできます。
信長、秀吉、家康がなぜ犬山城を重視したのか、徳川の治世で一国一城令が出てからもなぜ城が存続したのかの理由も、この眺望が物語っています。



| 「日本最古の天守」犬山城天守(国宝) | |
| 名称 | 犬山城天守/いぬやまじょうてんしゅ |
| 所在地 | 愛知県犬山市犬山北古券65-2 |
| 関連HP | 国宝犬山城公式ホームページ |
| 電車・バスで | 名鉄犬山線犬山駅から徒歩20分、 名鉄犬山線犬山遊園駅から徒歩12分 |
| ドライブで | 東名高速道路小牧ICから約10km、名古屋高速小牧北IC、中央自動車道小牧北IC、東海北陸自動車道岐阜各務原ICも利用可能 |
| 駐車場 | 犬山城第1駐車場(140台/有料)、犬山城第2駐車場(123台/有料) |
| 問い合わせ | 犬山城管理事務所 TEL:0568-61-1711 |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |


























