関東にある注目の「古代遺跡」(旧石器時代〜縄文時代) 10選

関東周辺には多くの古代史のロマンが眠っています。モースが発見した大森貝塚(東京都)は「日本考古学発祥の地」ですが、岩宿遺跡(群馬県)は旧石器時代の存在が証明された貴重な遺跡、さらに加曽利貝塚(千葉県)は世界最大の貝塚。2万年前の住居跡が見学できる田名向原遺跡(神奈川県)など10ヶ所の遺跡を紹介。

星野遺跡|栃木県

旧石器時代論争が展開されてきた遺跡

所在地:栃木県栃木市星野町400
時代区分:後期旧石器時代〜縄文時代
内容:昭和40年に旧石器時代の石器に似た石塊が発見されたのをきっかけに、旧石器時代研究の第一任者である東北大学教授の芹沢長介(明治大学で考古学を学び、岩宿遺跡発掘に従事)らが発掘調査を実施
復元施設:縄文時代前期の居住跡1棟、中期の居住跡1棟、中期の倉庫跡1棟の3棟が復元
ガイダンス施設:星野遺跡記念館、星野遺跡地層たんけん館

星野遺跡

星野遺跡

栃木県栃木市、永野川左岸にある後期旧石器時代〜縄文時代の複合遺跡が、星野遺跡。一帯は星野遺跡憩いの森として整備され、縄文時代前期の居住跡1棟、中期の居住跡1棟、中期の倉庫跡1棟の3棟が復元されています。縄文時代の住居などを復元地元の税理士・

岩宿遺跡|群馬県

昭和24年、旧石器時代の存在が証明された古代遺跡

所在地:群馬県みどり市笠懸町阿左美1790-1
時代区分:旧石器時代
内容:昭和24年7月、相沢忠洋はローム層から長さ7cm、幅3cmほどの槍先形尖頭器(黒曜石製の尖頭器)を発見、明治大学が調査し、旧石器時代の存在が証明されることに
復元施設:B区は岩宿ドーム(史跡岩宿遺跡遺構保護観察施設)となっており、岩宿遺跡の関東ローム層と、岩宿遺跡の時代をやさしく解説するビデオを観賞
ガイダンス施設:岩宿博物館

岩宿遺跡

岩宿遺跡

昭和21年、新田郡笠懸村岩宿(現・みどり市笠懸町阿左美)の切り通しにあった関東ローム層露頭から在野の考古学研究者・相沢忠洋(あいざわただひろ)が石器に似た石片を発見。それが有名な岩宿遺跡で、日本で最初に発見された旧石器時代の遺跡として有名で

大串貝塚|茨城県

縄文海進で内陸なのに貝殻が出土

所在地:茨城県水戸市塩崎町1064-1
時代区分:縄文時代前期
内容:縄文時代、縄文海進の影響で、入江が内陸部まで入り込み、大串貝塚のある場所も涸沼川の河口部に位置
奈良時代に編纂された『常陸国風土記』に貝塚、長大な人が暮らす(巨人伝説)大櫛之岡(おおくしのおか)と記された地(海から離れた場所で貝殻が出土するので、巨人が海に手を伸ばしたのだと考えたのです)
復元施設:貝層断面観覧施設
ガイダンス施設:埋蔵文化財センター」(1階「縄文くらしの四季館」)

大串貝塚ふれあい公園

大串貝塚ふれあい公園

茨城県水戸市塩崎町にある縄文前期の貝塚が大串貝塚。一帯は大串貝塚ふれあい公園として整備され、高さ15.25mの巨人像「ダイダラボウ」が立っています。奈良時代に編纂された『常陸国風土記』に貝塚、長大な人が暮らす(巨人伝説)大櫛之岡(おおくしの

文献に記載される「世界最古の貝塚」は、関東の内陸に!

先史時代の人々が、日常生活で大量に廃棄される貝殻などが堆積した場所が、貝塚(shell midden)。日本国内にある縄文時代の貝塚は2700ヶ所ほどが発見されていますが、文献などの記録に残る「世界最古の貝塚」は、関東平野にあります。しかも

加曽利貝塚|千葉県

国の特別史跡に指定され世界本最大規模の貝塚

所在地:千葉市若葉区桜木8-33-1
時代区分:縄文時代後期
内容:総面積は15.1haと世界でも最大規模の貝塚で、明治40年には「本邦第一の貝塚」と認定
縄文時代の貝塚を伴う環状集落で、直径140mで環状の北貝塚と、長軸190mで馬蹄形の南貝塚に分かれています
復元施設:南貝塚には貝層断面観覧施設、北貝塚の貝層断面・竪穴住居跡群観覧施設
ガイダンス施設:千葉市立加曽利貝塚博物館

加曽利貝塚公園

加曽利貝塚公園

千葉市若葉区にある縄文時代の貝塚が加曽利貝塚(かそりかいづか)。南貝塚、北貝塚に分かれる貝塚は、総面積は15.1haと世界でも最大規模の貝塚で、国の特別史跡に指定されています。さらに都川の支流である坂月川の舌状台地上にある貝塚一帯は加曽利貝

東京湾は「日本一の貝塚密集地帯」、日本最大の貝塚が千葉市に!

かつては「縄文人のゴミ捨て場」ともいわれた貝塚ですが、人骨や土器などが捨てられていることから物送りの場、聖地説なども生まれています。その貝塚は、判明しているだけで2700ヶ所ありますが、東京湾沿いに950ヶ所(千葉県内770ヶ所)。「日本最

新郷貝塚|埼玉県

原型を留める貴重な遺跡で、埼玉県を代表する貝塚

所在地:埼玉県川口市東貝塚79
時代区分:縄文時代後期〜晩期
内容:大宮台地の先端部に築かれた貝塚
発掘調査では、3軒の住居跡、伸展葬3体を含む5体の人骨、土偶、 耳飾り、石鏃、 石斧、 石皿、 石棒、 凹石、貝輪、 貝刃などが出土
貝塚からは淡水産のヤマトシジミなどが出土
遺跡は新郷若宮公園として整備
復元施設:とくになし
ガイダンス施設:「川口市立文化財センター」(埼玉高速鉄道川口元郷駅から徒歩10分)

新郷貝塚

新郷貝塚

埼玉県川口市東貝塚にある縄文時代後期・晩期の貝塚が、新郷貝塚。貝塚は馬蹄形で、南北150m、東西120mに及び、埼玉県を代表する貝塚として県の史跡にもなっています。明治26年、東京帝国大学人類学研究室・鳥居龍蔵博士が最初の発掘調査を実施しま

下野谷遺跡|東京都

南関東最大級の縄文集落跡

所在地:東京都西東京市東伏見6-4
時代区分:縄文時代中期が中心
内容:石神井川沿いにある縄文時代中期の環状集落の遺構
出土している土器から、集落が1000年間もの間、継続していたことが判明
復元施設:竪穴住居の骨格復元、出土状況復元、地層状態を表す土層模型
ガイダンス施設:とくになし

下野谷遺跡公園

下野谷遺跡公園

東京都西東京市、練馬区との境界近く、武蔵関公園、早稲田大学安部磯雄記念野球場の西側にあるのが、下野谷遺跡公園(したのやいせきこうえん)。石神井川沿いにある縄文時代中期の環状集落の遺構で、国の史跡。住居群、土坑墓群(どこうぼぐん)、掘立柱建物

大森貝塚|東京都

モースが新橋に向かう車内で発見、「日本考古学発祥の地」

所在地:東京都品川区大井6-21-6
時代区分:縄文時代後期〜晩期
内容:明治10年6月19日、横浜から新橋へ向かう汽車の窓から、アメリカ人動物学者のE.S.モース博士が、貝殻の堆積している場所を発見
復元施設:保存された貝塚標本(剥離標本)から貝殻が堆積している様子を見学可能
ガイダンス施設:品川区立品川歴史館

大森貝塚(大森貝塚遺跡庭園)

日本で初めて考古学としての科学的調査が行なわれた遺跡といわれる大森貝塚。明治10年、新橋へ向かう汽車の窓から、アメリカ人動物学者のE.S.モース博士が、貝殻の堆積している場所を発見。まもなく調査が行なわれ、これが日本の近代的考古学の出発点と

高ヶ坂石器時代遺跡|東京都

日本で初めて「縄文のムラ」が解明された地

所在地:東京都町田市高ヶ坂2-43・2-2
時代区分:縄文時代中期〜後期
内容:高ヶ坂石器時代遺跡(こうがさかせっきじだいいせき)は、牢場遺跡、稲荷山遺跡、八幡平遺跡の3遺跡の総称
大正14年、畑のゴボウが曲がって成長することがきっかけに発見された遺跡で、縄文集落遺跡の解明では、わが国最初のもの
稲荷山遺跡は牢場遺跡に隣接した場所で発見された縄文時代後期~晩期の配石遺構
復元施設:牢場遺跡では発掘された敷石住居跡に覆屋をかけて保存、ガラス越しに見学可能
ガイダンス施設

高ヶ坂石器時代遺跡

高ヶ坂石器時代遺跡

東京都町田市、鶴見川上流の恩田川沿いの段丘上にある縄文時代の集落跡が、高ヶ坂石器時代遺跡(こうがさかせっきじだいいせき)。牢場遺跡、稲荷山遺跡、八幡平遺跡の3遺跡の総称で、一帯には縄文時代にムラが築かれていたことが判明、牢場遺跡では発掘され

高ヶ坂石器時代遺跡

植えたゴボウが曲がって発見! 町田市に日本で初めて発掘された「敷石住居跡」が

東京都町田市にある高ヶ坂石器時代遺跡(国の史跡)は、牢場、稲荷山、八幡平遺跡の3地点からなる縄文時代の集落(ムラ)跡。大正14年、植えたゴボウがなぜか曲がってしまったことで、偶然に発見されたのが、牢場遺跡の「敷石住居跡」。丘陵地における住居

田名向原遺跡|神奈川県

2万年前の住居跡がみられるのは、日本ではここだけ

所在地:神奈川県相模原市中央区田名塩田3-313-3
時代区分:日本最古の旧石器時代(約2万年前)の遺跡
内容:平成9年、土地区画整理事業に伴う発掘調査で住居状遺構が発見され、平成19年3月31日に公園として開園
復元施設:旧石器時代の住居状遺構、縄文時代の竪穴住居、古墳時代の谷原12号墳(小型の円墳)、地層・黒曜石展示パネル(黒色土~ローム層)、地層展示パネル(ローム層~段丘礫層)が復元
ガイダンス施設:史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館(愛称「旧石器ハテナ館」)

史跡田名向原遺跡公園

史跡田名向原遺跡公園

神奈川県相模原市中央区田名塩田3丁目にある歴史公園が、史跡田名向原遺跡公園(しせきたなむかいはらいせきこうえん)。平成9年、土地区画整理事業に伴う発掘調査で住居状遺構が発見されましたが、この遺構が、日本最古の旧石器時代(約2万年前)の遺跡と

勝坂遺跡|神奈川県

5.6haが史跡勝坂遺跡公園として整備

所在地:神奈川県相模原市南区磯部1780
時代区分:縄文時代中期(5000年前)
内容:大正15年、考古学者で陸軍軍人の大山柏(おおやまかしわ=大山巌の次男)により発見された集落遺跡
大正時代に出土した土器が勝坂式と命名され標式資料となっています(中部地方の影響を受けて誕生したデザインだと推測され、縄文時代に広大な文化圏の交流が行なわれていたことが判明)
復元施設:竪穴住居2棟が復元
ガイダンス施設:公園内の管理棟で勝坂遺跡出土品やパネルの展示を実施
相模原市立博物館に出土した勝坂式土器などを展示

勝坂遺跡

勝坂遺跡

神奈川県相模原市南区磯部にある国の史跡に指定される縄文遺跡が、勝坂遺跡(かつさかいせき)。相模川に臨む相模原台地西縁に位置する縄文時代中期(5000年前)の集落遺跡で、5.6haが史跡勝坂遺跡公園として整備され、竪穴住居2棟が復元されていま

関東にある注目の「古代遺跡」(旧石器時代〜縄文時代) 10選
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