三沢市寺山修司記念館

演劇実験室「天井桟敷」を主宰した劇作家の寺山修司の本籍地は青森県上北郡六戸村(現・三沢市)。故・寺山修司の母・はつ氏から三沢市に寄贈された遺品をもとに開館したのが三沢市寺山修司記念館です。自叙伝『誰か故郷を想はざる』は虚実が混じった内容ですが、小学生から中学生に至る4年間を現在の三沢市で過ごしています。

寺山修司の故郷で寺山修司の足跡を振り返る

三沢市寺山修司記念館

記念館の散策道に立てられた文学碑

三沢市寺山修司記念館は、展示棟とホワイエ棟が渡り廊下でつながり、ホワイエ棟には寺山氏と交流のあった30人のメッセージ陶板など149枚の陶板が貼られています。
常設展示には、小学校の卒業証書、古間木中学校の『週刊古中』掲載の記事、野脇中学校新聞掲載の記事から絶筆となった原稿「墓まで何マイル?」(『週刊読売』1983.5.22)まで、多くの作品が展示されています。

映画『書を捨てよ町へ出よう』は、自筆台本原稿、影用台本、スチール写真などが展示され、往年のファンには懐かしい内容になっています。

さらに、寺山修司を紹介するDVD作品の視聴も可能です。

毎年没日(5月4日)を含む5月3日〜5日には『寺山修司記念館フェスティバル』が開催されています。

三沢市寺山修司記念館
寺山修司
母・はつ氏が進駐軍の米軍キャンプで働いていた都合で、多感な少年時代を現・三沢市で過ごした寺山修司。
昭和23年、三沢市立古間木中学校入学後、ハツが福岡県の米軍ベースキャンプへ移ったため、青森市内の母方の大叔父・坂本勇三の映画館「歌舞伎座」に引き取られ、青森市立野脇中学校(跡地は青森市文化会館)に転校しています。
昭和26年、青森県立青森高等学校進学。
昭和29年、早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)に入学。
谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始め、昭和42年1月1日、劇団「天井桟敷」を結成。
評論集『書を捨てよ、町へ出よう』を出版。
昭和58年5月4日、没。享年47。

三沢市寺山修司記念館 DATA

名称 三沢市寺山修司記念館/みさわしてらやましゅうじきねんかん
所在地 青森県三沢市三沢淋代平116-2955
関連HP 三沢市寺山修司記念館公式ホームページ
電車・バスで 青い森鉄道三沢駅からタクシーで15分
ドライブで 第二みちのく道路三沢終点から約13km
駐車場 70台/無料
問い合わせ TEL:0176-59-3434/FAX:0176-59-3440
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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