海底を歩く! 海底トンネル人道 全5ヶ所紹介
海底を歩いて渡ることができるのが「海底トンネル人道」。取材班の知る限り、日本にある「海底トンネル人道」は5ヶ所。もっとも有名なのが、関門海峡を渡る国道のトンネル「関門トンネル人道」のほか、川崎市道川崎駅扇島線の「川崎港海…
海底を歩いて渡ることができるのが「海底トンネル人道」。取材班の知る限り、日本にある「海底トンネル人道」は5ヶ所。もっとも有名なのが、関門海峡を渡る国道のトンネル「関門トンネル人道」のほか、川崎市道川崎駅扇島線の「川崎港海…
三河湾(愛知県)の最奥部、衣浦港の西側(半田市/中央ふ頭・半田緑地公園)と東側(碧南市/東埠頭・碧南緑地)を結ぶ愛知県道265号(碧南半田常滑線)のトンネルで、車道(有料道路の「衣浦トンネル」)に分離して無料の歩行者自転…
旋回橋の生地中橋が架かる黒部漁港(富山県黒部市)の入口。水路となった部分の海底には実は海底地下道(人道)が通っています。北の生地小学校側と南の順昌寺側を結ぶ珍しい海底の歩道です。車道に併設されたものではなく、海底の専用歩…
黒部川本流のダム湖であるうなづき湖の上流部、ノボセ谷出合付近に2005年2月に架橋された全長137mの吊り橋が「猿専用吊り橋」。湖周辺に生息する野生の猿が、餌場を求めて対岸とを往来できるように設置されたもの。歩廊部が幅3…
洲本市街と南淡町を結ぶ県道76号(南淡路灘水仙ライン)沿いにあり、紀淡海峡を一望にする斜面に500万本の水仙が咲く私営の観光花園が立川水仙郷。急斜面で石ころが多い立川地区は営農には適さない地。その地を戦後、個人の力で美し…
川崎市川崎区にある千鳥町と東扇島を結ぶ、川崎市道川崎駅扇島線の海底トンネル(全長2180m)。歩行者用のトンネルが別に用意され、自転車は降りて通る仕組みに。昭和47年の完成当時は一般車両が通行禁止でしたが、川崎マリエンの…
明日香村川原地区の田んぼの中に鎮座する重さ推定40tという巨大な花崗岩を、自然の岩肌を残したまま利用した石造物が亀石。うずくまった亀のようなスタイルと残された伝説から亀石と呼ばれていますが、いつごろ、何の目的で造られたの…
厄除け大師で名高い、東京都足立区の西新井大師。その境内の一画に赤い塔が聳えています。それが三匝堂(さんそうどう)。1840(天保11)年の創建ですが、現存するのは明治17年再建で、東京都内に残る唯一の栄螺堂(さざえ堂)と…
埼玉県本庄市児玉町にある成身院の百体観音堂は、1783(天明3)年におきた浅間山の大噴火と飢饉よる死者を弔うための仏堂。1階に秩父三十四観音、2階に坂東三十三観音、3階に西国三十三観音あわせて百観音を祀り、一巡すると百観…
徳島県徳島市方上町の県道210号沿いにある弁天山の標高は6.1m、国土地理院認定の自然にできた日本で一番低い山で、地元では弁天山保存会も組織されています。日本山岳会発行の山岳百科事典「新日本山岳誌」にも記載される正真正銘…
堺市の旧堺港の南側一帯は、明治から戦後間もなくまで、海浜リゾートとして繁栄した地。現在は大浜公園として整備されていますが、大浜公園プールの南側の築山(蘇鉄山)に、標高6.97mの一等三角点が設置されています。実は、この蘇…
高崎駅の西、観音山丘陵に呉服商・山田徳蔵が大正7年に着工し、昭和39年2月に88歳で生涯を閉じるまでの間、約50年間にわたって独力で築いたのが洞窟観音と、回遊式日本庭園の徳明園。高崎のシンボルとなっている白衣大観音より以…
昭和38年に開設された日本学生航空連盟の妻沼滑空場(めぬまかっくうじょう)。葛和田の渡し(葛和田渡船=群馬県側は赤岩渡船)に隣接した利根川の河川敷に広がるのどかなロケーションですが、滑空時間と飛行回数では、ともに日本一を…
養老牛市街から清里峠(裏摩周展望台入口)へと向かう道道は、日本離れした風景でたびたびCMに登場する絶景ポイント。地元で「牛文字」で有名なモアン山(標高365.7m)、西部劇の舞台のようなモアン牧場(JA計根別の育成牧場)…
扇状地が隆起し、砂礫層でできた山の斜面が浸食作用を受けて数十の土の柱を形成したという奇観が徳島県阿波市にある阿波の土柱(あわのどちゅう)で、国の天然記念物に指定。日本最大の断層である中央構造線も生成にからみ、内外の地質学…
岐阜県道86号金山明宝線沿い、岩屋ダム下流に位置する縄文時代早期から江戸時代の遺跡。馬瀬川左岸の南側山麓に2つの巨石があり、岩屋神社(妙見神社)本殿が鎮座しています。人身御供(ひとみごくう)の娘の身代わりになった悪源太義…
天橋立駅・智恩寺(切戸の文殊)側から、公園となった天橋立へと歩くと、西の内海(阿蘇海)と東の外海(宮津湾)を結ぶ天橋立運河(文殊水道=大正3年掘削)があります。この水路にかかる橋で、正式名は小天橋へと架かるため小天橋。そ…
整然と田が広がる八郎潟を干拓して生まれた大潟村の中央、中央幹線排水路に架かる御幸橋のたもとにある小山が大潟富士。大潟村は戦後に八郎潟を干拓して誕生した村のため、村全体が海抜ゼロメートル以下。大潟富士は標高0mだが、もとも…