熱田神宮・信長塀
織田信長は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)、今川義元迎撃に桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)出陣の際、熱田神宮に必勝祈願をしますが、見事に義元を討ち果たし歴史的な勝利を収めたため、そのお礼として築地塀(つい…
織田信長は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)、今川義元迎撃に桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)出陣の際、熱田神宮に必勝祈願をしますが、見事に義元を討ち果たし歴史的な勝利を収めたため、そのお礼として築地塀(つい…
駿河国(するがのくに)の総社が静岡市にある静岡浅間神社。静岡駅から北へ2km、賎機山(しずはたやま)の南麓にあり、神部神社(かんべじんじゃ)、浅間神社(あさまじんじゃ)、大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の3つを総称…
寺伝によれば天平5年(733年)、行基によって開かれた奥浜名の古刹が龍潭寺(りょうたんじ)。井伊氏初代当主・井伊共保(いいともやす)は、寛治7年(1093年)に没すると八幡山地蔵寺(現・龍潭寺)に葬られ、以降豪族・井伊氏…
横浜のご当地ソングは横浜、ヨコハマ、YOKOHSAMAで始まる曲だけでもざっと110曲ほど。そんな横浜のご当地ソングの中でも駅名までに影響を与えたのが青江三奈の歌った『伊勢佐木町ブルース』。伊勢佐木町商店街(イセザキモー…
三保松原のシンボルともいえるのが羽衣伝説を残す羽衣の松。その羽衣の松は、実は御穂神社(みほじんじゃ)の神が降臨する依代(よりしろ)で、ここに降り立った神々は、500mほどの神の道を通って御穂神社へと誘われるのだという。
静岡市清水区三保の三保松原入口に鎮座する古社、御穂神社(みほじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式』神名帳にも記載の古社で、神社境内と参道(神の道)は、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産にもなっています…
駿河湾に突き出すような半島に面した南北7kmの砂浜一帯に、美しい松林が連なる景勝地、三保松原。江戸時代、東海道を歩く人々が「あれが三保の松原か」と江尻宿あたり(東海道本線清水駅付近)から遠望したのが三保松原です。日本白砂…
京都最古の神社といわれる古社が「お酒の神様」として名高い松尾大社(まつのおたいしゃ)。京の西端、松尾山(標高223m)の磐座(いわくら)で祭祀を行なったという古代信仰がルーツ。5世紀頃、朝鮮から渡来した秦氏(はたうじ)が…
吉野山上千本に鎮座する延長5年(927年)編纂の「延喜式神名帳」記載の古社が吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)。明治の神仏分離までは、金峰山の蔵王権現(金峯山寺)に属する修験道の行場で、水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ地…
吉野山、中千本に鎮座する吉水神社(よしみずじんじゃ)。明治初期の神仏分離令で後醍醐天皇、楠木正成、宋信法印を祀る神社となっています。後醍醐天皇の行宮跡で、秀吉の吉野の花見の本陣にもなったと伝えられています。世界遺産「紀伊…
明治の神仏分離までは吉水院(きっすいいん)だったという奈良県吉野山の吉水神社。書院裏手にあるのが北闕門(ほくけつもん)で、吉野山から大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)を経て大峰山(大峯山)に入山する修験者は、ここで邪気を…
文禄3年2月27日(1594年4月17日)の太閤秀吉の吉野での花見は、吉水院(現在の吉水神社)が本陣となりました。花見に際して豊臣秀吉自らが基本設計を行なったと伝えられる桃山式の庭園が、吉水神社の庭園。神仙思想による「不…
江戸時代に行なわれた木曽三川(きそさんせん)の治水工事(分流工事)のうちでもっとも難工事だったのが宝暦の治水工事。工事中に薩摩藩士51名が自害(幕府への届け出は病死)、33名が病死しています。その薩摩藩士を祀り、過酷な工…
大阪市平野区にある融通念仏宗総本山が大念仏寺(だいねんぶつじ)。平安時代後期の大治2年(1127年)、天台宗の僧の良忍(りょうにん)が鳥羽上皇の勅願で開創した日本最古の念仏道場です。摂津国住吉郡平野庄(現・大阪市平野区)…
摂津国一宮とも称される大阪市中央区に鎮座する坐摩神社(いかすりじんじゃ)ですが、羽柴秀吉の大坂城築城までは、淀川(現在の大川)河口、渡辺津(わたなべのつ)に鎮座していました。天満橋近くの石町には現在も坐摩神社行宮(あんぐ…
大阪市中央区久太郎町にある古社が坐摩神社(いかすりじんじゃ)。一般には「ざまじんじゃ」と読まれてしまうため、地元では「ざまさん」の通称も。古代には淀川河口にあった古代の湊、渡辺津の守護神で、全国の渡辺さんのルーツともなる…
東京都文京区向丘2丁目にある風雅さを漂わせながら、チャペルのような堂に大観音が安置されるのが光源寺。江戸時代から知られる駒込大観音は、東京大空襲で焼失しましたが平成5年に復興したもの。寺は、天正17年(1589年)、神田…
大阪府南河内郡太子町にある古刹、叡福寺。飛鳥時代に推古天皇が厩戸皇子(うまやどのおうじ=聖徳太子)の墓所を守護するために創建と伝わります。推古天皇28年(620年)、厩戸皇子(聖徳太子)がこの地に自身の墓所を造営すること…