子規堂
松山が生んだ近代俳句の祖、正岡子規。子規堂は子規が17歳で上京するまで住んでいた湊町4丁目の旧宅を子規の菩提寺・正宗寺(しょうじゅうじ/愛媛県松山市末広町)境内に間取りを模して復元したもの。堂内には子規の子供時代の勉強部…
松山が生んだ近代俳句の祖、正岡子規。子規堂は子規が17歳で上京するまで住んでいた湊町4丁目の旧宅を子規の菩提寺・正宗寺(しょうじゅうじ/愛媛県松山市末広町)境内に間取りを模して復元したもの。堂内には子規の子供時代の勉強部…
愛媛県松山市道後公園にある正岡子規を顕彰するミュージアムが松山市立子規記念博物館。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』で秋山兄弟として主人公のひとりとして描かれる正岡子規。道後公園の一角にあり、松山が生んだ正岡子規を通して松山…
愛媛県松山市市坪西町、松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)内にある野球資料館が松山市野球歴史資料館の・ボールミュージアム。その名は正岡子規の雅号「の・ぼうる」(野球)に由来しています。子規の本名は升(のぼる)で、こ…
愛媛県松山市、松山城を中心に松山全体をフィールドミュージアムとする司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』を軸とした構想の中核を担う博物館が坂の上の雲ミュージアム。秋山好古(あきやまよしふる)・秋山眞之(あきやまさねゆき)兄弟、俳…
愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺、大宝寺。大宝寺・本堂は、鎌倉時代前期の建立と推定される現存する愛媛県最古の建築物で国宝。平安時代末期の末法思想を背景に、浄土信仰隆盛に伴って建てられた阿弥陀堂で、本尊の阿弥陀如来坐像(…
愛媛県松山市にある真言宗豊山派の古刹、大宝寺(たいほうじ)。大宝年間(701年~703年)に地元の豪族(伊予大領)・越智玉興(おちのたまおき)の創建と伝えられ、寺号は創建された年号に由来しています。藩政時代には松山藩主・…
愛媛県松山市石手2丁目、四国八十八箇所第51番札所の石手寺・二王門は、『伊予古蹟志』に、河野通継(かわのみちつぐ/生没年不詳)が文保2年(1318年)に建立したと記され、国宝。入母屋造り、本瓦葺き、三間一戸の楼門です。門…
愛媛県松山市太山寺町、四国八十八ヶ所霊場第52番札所の伽藍エリアにある太山寺・本堂は、発見された墨書から嘉元3年(1305年)の建立であることが確認され、国宝。入母屋造り(いりもやづくり)、本瓦葺きで木造建築としては愛媛…
岡山県岡山市北区、吉備路ゆかりの文学者の著書や書簡、原稿などを収蔵展示し、吉備路の精神文化に触れられるのが吉備路文学館。坪田譲治、正宗白鳥、井伏鱒二、柴田錬三郎ら百数十人、約4万点にもおよぶ文献、資料が集積。また竹久夢二…
岡山県岡山市北区にある犬養毅生家(いぬかいつよしせいか)と生家に隣接する県立の記念館が犬養木堂記念館(いぬかいぼくどうきねんかん)。大正から昭和にかけて「憲政の神様」といわれた宰相で、木堂は犬養毅の雅号。館内では、書簡や…
岡山県岡山市北区にある日本有数の規模を誇るバラ園がRSKバラ園。RSKとは山陽放送(略称RSK=Radio Sanyo K.K./岡山のTBS系列局)のこと。ラジオ送信所の用地を利用したバラ園で、世界…
岡山県岡山市北区足守、足守藩の陣屋が置かれた陣屋町(町並み保存地区)の家並みに溶け込むように建てられた体験施設が足守プラザ。地産地消をモットーにするお食事処「洪庵茶屋」、陶芸工房、米蔵ギャラリー、情報コーナーなどがあり、…
三重県四日市市、鈴鹿山脈の前衛峰・雲母峰(きららみね/888.1m)の山麓の水沢地区は、伊勢茶の茶畑が広がるのどかな地。標高200mほどの丘陵地にあるのが四日市ふれあい牧場で、四日市市の公共育成牧場ですが、ポニーや山羊な…
岡山県岡山市北区、足守藩の陣屋が置かれた城下町・足守(あしもり)の観光拠点になっているのが備中足守まちなみ館。足守藩・木下家2万5000石の陣屋町として発達し、現在は町並み保存地区にも指定された足守(あしもり)。そんな江…
岡山県津山市にある律令時代、美作国(みまさかのくに)の総社だったという古社が美作総社宮。総社は国府に赴任した国司が、国内の神社を巡拝するのを簡易化するため、平安時代に、国庁近くに国内の祭神を合祀して創建した神社です。備前…
三重県松阪市飯福田町にある山伏修験で知られる岩峰の霊山が伊勢山上。奈良時代、文武天皇(もんむてんのう)の時代に役行者(えんのぎょうじゃ=役小角)によって開創されたと伝えられる修験の地で、広大な霊場を有するのが飯福田寺(い…
三重県松阪市高須町、櫛田川の河口部に広がる西黒部地区海岸公園から海に突き出した堤防突端にあるのが海の上の展望台。まだまだ無名の展望地ですが(単なる突端でとくに展望施設はありません)、まさに堤防の突端のため、満潮時には海の…
三重県桑名市にある浄土宗の寺で、桑名藩主・松平家の菩提寺が照源寺。寛永元年(1624年)、桑名藩主・松平定勝(まつだいらさだかつ=徳川家康の異父弟)の死去の際、2代将軍・徳川秀忠の命で、その子・松平定行(まつだいらさだゆ…