金時山でダイヤモンド富士
閏年(うるうどし)など多少の変動はありますが、例年5月10日〜11日頃、そして8月1日〜2日頃、箱根外輪山の金時山(神奈川県箱根町・南足柄市、静岡県小山町)で、富士山頂に太陽が沈むダイヤモンド富士を見ることができます。た…
閏年(うるうどし)など多少の変動はありますが、例年5月10日〜11日頃、そして8月1日〜2日頃、箱根外輪山の金時山(神奈川県箱根町・南足柄市、静岡県小山町)で、富士山頂に太陽が沈むダイヤモンド富士を見ることができます。た…
長野県塩尻市街(松本平)の東にそびえるのが標高1665mの高ボッチ山。山上は草原となり、高ボッチ高原と呼ばれています。高ボッチ高原には、北アルプスの槍穂高をバックに牛が放牧される高ボッチ牧場があります。国道20号から高ボ…
神奈川県鎌倉市のJR大船駅近く、昭和34年まで神奈川県の農業試験場(平塚市に移転)があった地に、そこで育成された花(「大船系」)を活かして昭和37年に開園した敷地面積6万4000平方メートルと、県下最大規模の植物園が神奈…
長野県立科町にある蓼科牧場は、女神湖・ゴンドラリフトシャトルビーナス周辺の蓼科第一牧場(蓼科ふれあい牧場)と、長野県道40号(諏訪白樺湖小諸線)沿いの蓼科第二牧場に分かれています。面積が広いのが蓼科第二牧場。県道沿いに「…
現在の埼玉県熊谷市の発展に寄与した、竹井澹如(たけいたんじょ)が別邸「池亭」としていた場所が星渓園(せいけいえん)。上野国甘楽郡羽沢村(現・群馬県南牧村)出身の竹井澹如は、慶応元年(1865年)、熊谷宿の本陣竹井家を継ぎ…
長野県茅野市、蓼科中央高原と通称される奥蓼科温泉郷の明治温泉から横谷温泉にかけての4kmの間に展開する渋川の峡谷が、横谷峡(よこやきょう)。蓼科パークホテル近くの横谷峡入口バス停から上流の横谷観音、さらに上流のおしどり隠…
諏訪湖周辺にある4つの諏訪大社のなかで、もっともにぎわいをみせるのが、諏訪大社下社秋宮(しもしゃあきみや)。中山道(なかせんどう)と甲州街道の合流点、下諏訪宿(現・長野県下諏訪町)に建ち、江戸時代にも街道を歩く旅人や大名…
埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺、常楽寺。秩父三十四所観音霊場・札所11番で、西武鉄道西武秩父駅、秩父鉄道秩父駅・御花畑駅から徒歩圏内にある札所。本尊は、十一面観世音で、明治初年までは天台宗の寺で、第18代天台座主で比叡中興…
長野県下諏訪町は、中山道(なかせんどう)と甲州街道の合流点。街道時代の面影を色濃く残しているのが、諏訪大社下社秋宮(すわたいしゃしもしゃあきみや)あたりの旧中山道です。本陣を務めた岩波家には、街道時代の建物の一部と庭園が…
愛知県新城市、長篠の戦いの設楽原決戦の地近くにのが新城市設楽原歴史資料館。織田・徳川連合軍が鉄砲3000丁、馬防柵を準備して武田の騎馬隊を退けたとされる「長篠・設楽原の戦い」と幕末の日米修好通商条約調印の立役者である岩瀬…
栃木県日光市を流れる鬼怒川上流部を堰き止めた川俣ダム。そのダム横を走る栃木県道23号(川俣温泉川治線)沿い、川俣ダム、その下流の瀬戸合峡を眼下にする展望台が川俣ダム展望台(瀬戸合見晴休憩舎「見晴茶屋」)。川俣ダムに寄り道…
栃木県日光市、鬼怒川上流部を堰き止めた川俣ダムの堰堤直下、2kmにわたって続くV字谷の峡谷が瀬戸合峡。川俣ダムのダムサイトから峡谷を歩く遊歩道が整備され、410段の階段をクリアすれば「渡らっしゃい吊橋」に到達します。「渡…
神奈川県伊勢原市、雨乞い信仰も残る丹沢の名峰・大山(標高1252m)の中腹(標高700m)に建つのが阿夫利神社下社(おおやまあふりじんじゃしもしゃ)。阿夫利の名は雨降りに由来するともいわれています。江戸時代には大山権現へ…
江戸時代の東海道で「海道(街道)一の絶景」といわれた景勝地が由比(由井)宿(ゆいじゅく/現・静岡市清水区由比)と興津宿(おきつじゅく/現・興津本町)の中間にある薩埵峠(さったとうげ)。東海道本線由比駅から南へと旧東海道(…
静岡県富士市の田子の浦港の港湾入口部分に築かれた静岡県営のふじのくに田子の浦みなと公園。平成30年2月23日(2月23日=富士山の日)にオープンしたのが展望施設の富士山ドラゴンタワー。高さは、37.76mで富士山の100…
静岡県富士市、ふじのくに田子の浦みなと公園内にあるのが山部赤人万葉歌碑。奈良時代の歌人・山部赤人(やまべのあかひと)が詠んだ有名な『富士山を望む歌』(「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」万葉集・…
新潟県魚沼市の国道352号(銀山街道)途中にある標高1065mの峠が枝折峠(しおりとうげ)。放射冷却の秋の朝、銀山平で発生した霧が雲海となり山の稜線を越え、まるで滝のように流れ落ちる「滝雲」(たきぐも)を眺めることがあり…
埼玉県所沢市にある真言宗豊山派の寺が多聞院(たもんいん)。元禄9年(1696年)、川越藩主・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が三富新田(上富・中富・下富)を開いた際、中富に毘沙門社(多聞院)を開いたのが始まり。明治初年の神…