明石寺(四国八十八ヶ所霊場第43番札所)
欽明天皇(539年〜571年)の御代、天皇の勅願で創建したという古刹が西予市宇和町に建つ明石寺(四国八十八ヶ所霊場第43番札所)。734(天平6)年には、寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し、12坊を建て修験道場となりま…
欽明天皇(539年〜571年)の御代、天皇の勅願で創建したという古刹が西予市宇和町に建つ明石寺(四国八十八ヶ所霊場第43番札所)。734(天平6)年には、寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し、12坊を建て修験道場となりま…
筑紫で崩御した母・斉明天皇追悼のために天智天皇が創建したという九州屈指の古刹。746(天正18)年造営で、761(天平宝字5)年には戒を授ける(正式に僧になるために必要な儀式)寺として東大寺、下野薬師寺とともに「天下三戒…
大宰府政庁跡の北西に位置する、四天王寺山の麓にある奈良時代創建の筑前国の国分寺跡。聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、全国各地に建立した国分僧寺(金光明四天王護国之寺/こんこうみょうしてんのうごこくのてら)のひとつが筑前…
美波町にある薬王寺は、四国八十八ヶ所霊場第23番札所で22番の平等寺からは3ヶ所の峠を越える行程。この薬王寺まで巡礼すれば阿波国23ヶ所「発心の道場」を終えたことになります。奈良時代に行基が開基したと伝わる古刹で、815…
有名漫画家の輩出県というゆえんもあって高校ペン児たちが毎夏、熱戦を繰り広げる全国高等学校漫画選手権大会『まんが甲子園』も開かれている。『まんが甲子園』で優勝するための願懸けをしてもらおうと創建された神社が中土佐町のマンガ…
愛南町御荘平城にある平城山薬師院観自在寺(かんじざいじ)。807(大同2)年、平城天皇の勅願所として、空海が創建した真言宗大覚寺派の古刹で、本尊の薬師如来と脇仏の阿弥陀如来、十一面観音菩薩は空海の作と伝わっています。四国…
724(神亀元)年、聖武天皇の勅願で行基が薬師如来を刻んで本尊とし、堂塔を建立したのが始まりと伝えられる古刹が宿毛市の延光寺。795(延暦14)年、空海(弘法大師)が巡錫し桓武天皇の勅願所として再興、四国八十八ヶ所霊場3…
檮原町の三嶋神社社前の檮原川にかかる屋根付きの橋が神幸橋(みゆきばし)。三嶋神社の大祭「御神幸(おみゆき)祭り」の行列がこの橋を渡るのが名の由来です。三嶋神社参道は「坂本龍馬脱藩の道」のルートにもなっているのでぜひ歩いて…
天平年間(729~749年)、聖武天皇の勅願で行基が開いた仁井田明神の別当寺・福円満寺が創始という古刹が四万十町役場に近い岩本寺(四国八十八ヶ所霊場第37番札所)。行基はこの地に宝福寺、長福寺など合計7ヶ寺を開いています…
土佐市の醫王山の中腹に建つ清滝寺(四国八十八ヶ所霊場第35番札所)の寺伝によれば、723(養老7)年、行基が自刻の薬師如来像を安置して堂を建て景山密院繹木寺としたのが創始という古刹。弘仁年間(810~824年)に空海(弘…
804(延暦23)年、遣唐使の一員として唐に渡った空海(弘法大師)は長安の青龍寺で恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に真言密教の教えを受けます。帰国した空海は横浪半島の先端の山上(現・土佐市)に一宇を建立して不動明王を安置。そ…
種間寺(四国八十八ヶ所霊場第34番札所)は、寺伝によれば577(敏達天皇6年)、大坂の四天王寺建立のため百済王(くだらおう)が派遣した仏師や画工達が務めを終えて朝鮮半島に帰国する途中、暴風雨にあって難破し秋山の湊へ寄港。…
最御崎寺(ほつみさきじ)は807(大同2)年に、弘法大師(空海)により開山されたと伝えられる古刹。室戸山(むろとざん)明星院(みょうじょういん)最御崎寺が正式名で、四国八十八ヶ所霊場第24番札所。土佐国で最初の札所で、第…
室戸市役所近くの室津港を眼下にする高台に建つ真言宗豊山派の古刹が津照寺(しんしょうじ)。空海の開基と伝えられ、四国八十八ヶ所霊場25番札所。本尊の延命地蔵菩薩(秘仏)も、漁業と海上の安全を祈願して空海が自ら刻んだものと伝…
高知県室戸市の金剛頂寺(四国八十八ヶ所霊場第26番札所)は、空海が若い頃に修行をした地で、807(大同2)年、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が開基したと伝わる古刹。東寺と呼ばれる最御崎寺(第24番札所)に対して西寺…
高知県安芸郡安田町の神峯寺(こうのみねじ)の寺伝によれば、神功皇后が三韓遠征の戦勝を祈願し天照大神などを祀ったが創始といい、その後、行基が十一面観音菩薩を刻んで本尊としたのが始まりという古刹。809年(大同4)、聖武天皇…
天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願で行基が開き、815(弘仁6)年に空海(弘法大師)が中興したと伝わる古刹が香南市の大日寺で、四国八十八ヶ所霊場28番札所。その後土佐藩の祈願寺として栄えましたが、明治の廃仏毀釈…
聖武天皇の勅願で全国に建てられた国分寺のひとつ、土佐国分寺として741(天平13)年、行基が創建という古刹で、本尊の千手観音像、脇侍の不動明王、毘沙門天ともに行基の作と伝わります。のちに空海が42歳の折に星供の秘法を修め…