水若酢神社

隠岐国(おきのくに)の一之宮でもある水若酢神社(みずわかすじんじゃ)は、隠岐の島町(島後)の五箇地区にある黒松に囲まれた古社。創建は神代(崇神天皇の時代)といわれ、祭神の水若酢命(みずわかすのみこと)は隠岐国の国土開発と日本海鎮護の任務にあたった神と伝承されています。

隠岐を代表する古社の創建は神代にまで逆上る

平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載の水若酢神社。
社殿周囲には古墳時代後期の小規模な古墳もあり、この地が隠岐の島の中心であったことがよくわかります。
現存する本殿は1795(寛政7)年の建立で、隠岐国総社の玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)と同様に様式は隠岐造りで国の重要文化財。

水若酢命は隠岐の島北端の伊後に海上から上陸し、大峯山(507.6m)を越えて旧五箇村入ったとされています。
伊後には湊という地名もあり、大陸との交流も類推できる伝承となっているのです。

地元の郷土史家は、隠岐の神社は国造り神話の伝わる出雲より古いと考える人もいますが、隠岐の島北側が大陸への窓口として開かれ、文化が流入しただろうことは想像に難くありません。

境内に土俵があるのは、『隠岐古典相撲大会』が行なわれるから。
水若酢神社大鳥居竣工(昭和47年)、水若酢神社本殿葺替工事竣工祝賀奉納(昭和58年)、水若酢神社遷宮奉祝記念(平成13年/20年に一度行なわれる水若酢神社の遷宮時)など、島内で祝い事があったときに相撲大会が開催され、島を挙げて夜通し取り組みが行なわれるのが特徴。
古典相撲という呼び名は新しく、元々は神への奉納相撲「宮相撲」として行なわれていました。

水若酢神社から峠をひとつこえた久見地区には平安時代編纂の『延喜式神名帳』記載の古社、伊勢命神社(いせみことじんじゃ)があり、江戸時代に記された『隠州視聴合紀』では水若酢神社を外宮、伊勢命神社を内宮としています。

『隠岐古典相撲大会』の会場となる土俵

例祭は『水若酢神社祭礼風流』

偶数年の5月3日に開催される例祭の『神幸祭』は、『水若酢神社祭礼風流』として県民俗文化財に指定。
一之森神社、八王子神社などの『隠岐武良祭風流』(おきむらまつりふりゅう)、玉若酢命神社の『御霊会風流』と並んで隠岐の三大祭りのひとつに数えられています。

10歳までの男児が「山」と呼ばれる山車を曳く「山曳神事」が中心。
明応年間(1492年〜1500年)に水害で社殿が流失。
河口付近で発見された御神体を氏子たちが旗を立て笛や太鼓を鳴らしながら引き揚げた故事に倣い、1688(貞享5)年頃から始められた神事です。

流鏑馬神事なども斎行されています。

水若酢神社
名称 水若酢神社/みずわかすじんじゃ
Mizuwakasu-jinja Shrine
所在地 島根県隠岐郡隠岐の島町郡723
関連HP 隠岐の島町観光協会公式ホームページ
電車・バスで 西郷港(ポートプラザ)から隠岐一畑交通バス五箇行きで40分、水若酢神社前下車、徒歩3分
ドライブで 西郷港から約14.5km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 水若酢神社 TEL:08512-5-2123
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材協力/隠岐ユネスコ世界ジオパーク推進協議会、隠岐の島町、島根県観光振興課

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