和歌山城・大手門
1619(元和5)年、徳川頼宣(とくがわよりのぶ)の入城後、和歌山城の表門となった一の橋南詰に建つ大手門。創建当初は一之橋御門と呼ばれていましたが、1796(寛政8)年に大手御門と改称しています。明治42年に自然倒壊し、…
1619(元和5)年、徳川頼宣(とくがわよりのぶ)の入城後、和歌山城の表門となった一の橋南詰に建つ大手門。創建当初は一之橋御門と呼ばれていましたが、1796(寛政8)年に大手御門と改称しています。明治42年に自然倒壊し、…
1600(慶長5)年の浅野幸長入城後、和歌山城南東の虎口(こぐち=出入口)に位置する大手門として創建。1619(元和5)年、初代和歌山藩主・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)入城とともに、峡橋を渡っての参勤交代に不便などの理由…
初代紀州藩主・徳川頼宣が和歌山城の西の丸に西の丸御殿とともに造られた日本庭園が紅葉渓庭園(西の丸庭園)で、藩主の隠居所。徳川時代以前の浅野家城主時代には庭園の一部となっている山吹谷は水堀だったとか。虎伏山山麓の起伏を生か…
和歌山藩主と側近だけが藩の政庁や藩主の居館である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来するために架けられたのが御橋廊下。屋根があり、外からは見えない構造で、二の丸側から11度の角度で下るという珍しい構造のため、滑り止めの…
国の史跡となっている和歌山城の二の丸にあるのが二の丸庭園。現在は構築物はありませんが、往時は二の丸御殿が建っていた場所。虎伏山(とらふすやま・標高48.9m)山頂の天守やその東の本丸御殿で政務を司るのは不便なので、二の丸…
近世の和歌山城天守閣は、浅野幸長が関ヶ原の戦の軍功で紀州藩主となり入城した際、1605(慶長10)年頃、下見板張りの天守が建てられたのが始まり。1846(弘化3)年の天守曲輪の雷雨で全焼し、1850(嘉永3)年に再建。幕…
総楠(そうくすのき)造りであったため楠門と称される天守曲輪の入口。本瓦葺きの楼門。1846(弘化3)年の落雷で天守群とともに焼失しましたが1850(嘉永3)年に再建。戦前は国宝だったが、和歌山大空襲で焼失。昭和33年に楠…
『万葉歌』にも詠まれた雑賀の浦(和歌山市)にある景勝地が雑賀崎(さいかざき)。荒波が打ち寄せる岩礁は、紀州の特徴ともいえる青石で、入り組んだ海岸線が実に美しい景観を生み出しています。大島、中の島、双子島といった小島が浮か…
根室半島の根室海峡側、ノッカマップ岬の東端には根室半島チャシ跡群のひとつ、ノッカマフチャシ跡(ノッカマフ1号・2号チャシ跡)があります。根室半島の海沿いには16世紀〜18世紀にアイヌ民族が構築した32ヶ所のチャシが現存。…
標津町の市街地背後の小高い丘は、望ヶ丘公園として整備されていますが、実は一帯はアイヌのチャシ(砦)跡。公園の下に茶志骨(ちゃしこつ)という字名(あざめい)がありますが、アイヌ語のチャシ・コツ(chasi-kot=城・砦跡…
千歳川の河岸段丘上に建つ千歳神社本殿横にあるアイヌのチャシ(砦)跡。フレトヒとはアイヌ語のフレ・トイhure-toy=赤い・土)に由来。かつてこの地に山崩れがあり、往時には赤土が露呈していたと推測できます。山崩れでできた…
根室半島には16世紀~18世紀にアイヌが構築した32ヶ所のチャシが残されています。そのうち24ヶ所が国指定史跡となり根室半島チャシ群として「日本100名城」に選定。つまりは日本最北で最東端の100名城というわけです。チャ…
幕府直轄領(天領)のうち重要な場所に置かれた奉行所が遠国奉行(おんごくぶぎょう)。北辺警備のために箱館(現在の函館)に1802(享和2)年に設置されたもの。箱館戦争が終結した2年後の明治4年に解体されていますが、4年間の…
松前藩戸切地陣屋跡が正式名で、幕末の1855(安政2)年、徳川幕府が松前藩に築造を命じた西洋式の城郭。五稜郭は、日米和親条約締結による箱館開港に伴い、1857(安政4)年に着工していますからこちらの方が先輩格の城となりま…
上ノ国町の夷王山(いおうざん)山上に広がる中世の館跡、勝山館跡。館跡の周辺に白い杭が立っていますが、これは中世の山城、勝山館に暮らした和人(注/和人という言葉は18世紀末に徳川幕府が東蝦夷地を直轄した以降に見られる比較的…
夷王山山頂直下、夷王山駐車場に隣接して建つ勝山館のガイダンス施設。「上ノ国の中世の館(たて)」として北海道遺産にも登録される勝山館・夷王山墳墓群の発掘調査から、北海道の知られざる歴史が次第に明らかになってきました。発掘調…
「上ノ国の中世の館(たて)」として「北海道遺産」に登録される中世の山城。松前藩の礎を築いた武田信広(武田信廣)の館跡です。標高159.1mの夷王山(いおうざん)から北東に伸びる尾根上に、和人とアイヌが混住していたと推測さ…
北海道・上ノ国町(かみのくにちょう)の背後にそびえる山が標高159.2mの夷王山。中世の北海道は夷島(えぞがしま)と呼ばれていましたが、夷の王の山が夷王山で、山頂の直下には松前城が築かれる以前の山城、勝山館(かつやまだて…