元寇防塁跡(今津地区)
文永11年(1274年)、元・高麗連合軍は3万の大軍で博多湾西部に上陸(文永の役)。その後、博多の海岸線には防塁を築いていますが、保存整備されて見学が可能なのが元寇防塁跡(今津地区)。弘安4年(1281年)の2回目の蒙古…
文永11年(1274年)、元・高麗連合軍は3万の大軍で博多湾西部に上陸(文永の役)。その後、博多の海岸線には防塁を築いていますが、保存整備されて見学が可能なのが元寇防塁跡(今津地区)。弘安4年(1281年)の2回目の蒙古…
福岡平野中央からやや東寄り、福岡空港の南西、福岡市博多区板付にある縄文時代末期から弥生時代後期にかけての二重環濠集落が板付遺跡(いたづけいせき)。環濠集落とは、周囲に水濠を巡らせたムラのこと。縄文時代晩期から弥生時代後期…
久留米藩を250年治めた、21万石の藩主有馬氏の居城跡が福岡県久留米市にある久留米城跡。筑後川沿いの小高い岡に築かれた平山城で、天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州国割で、毛利秀包(もうりひでかね=小早川秀包)が3万…
旧秋田商会ビルは、大正4年に建てられた海運会社・秋田商会の事務所兼住居だったもの。秋田商会は日清戦争以後に興った海外進出機運にのって下関に創設された海運会社で、海外貿易を主な業務にしていました。屋根の塔屋が印象的な和洋折…
下関南部町郵便局(しものせきなべちょうゆうびんきょく)は、明治33年に建てられた下関に現存するもっとも古い西洋建築物。逓信省技師の三橋四郎の設計。外壁のレンガは60cmの厚さで、現在も現役の郵便局として使用されており、国…
綾羅木郷遺跡(あやらぎごういせき)は、山口県下関市綾羅木にある、弥生時代前期を中心とする遺跡で、国の史跡。一帯は史跡公園として整備され、下関市立考古博物館も建っています。本州西端の響灘(ひびきなだ)に面する地域に位置し、…
古代には赤間関(あかまがせき)として大陸への玄関口として栄えた山口県下関市。渡来人の文化もその多くは赤間関を経て瀬戸内や大和、さらには東国へと流入したと推測できます。綾羅木郷遺跡(あやらぎごういせき)に隣接して建ち、弥生…
関門海峡の北西、山口県下関市の響灘(ひびきなだ)に面する海岸砂丘にある弥生時代の埋葬跡が土井ヶ浜遺跡。弥生人は「縄文人が進化」という定説を覆し、「渡来・混血」説を導き出すに至る画期的な発見をもたらした、弥生時代文化像を大…
駐日英国大使アーネスト・サトウの本国への具申から明治39年に下関に建てられたイギリス領事館。ついで長崎、函館にも建てられましたが、現在も残っているのは長崎と下関だけ。旧下関英国領事館として保全され、国の重要文化財になって…
長門長府藩第13代藩主・毛利元周(もうりもとちか)は幕末の異国船対策にも奔走、亀山八幡宮に砲台を築き、大砲4門を備えました。これが亀山砲台で、文久3年5月11日(1863年6月26日)、亀山砲台からアメリカ商船などに砲撃…
佐賀県(佐賀市)と福岡県(大川市)の県境、筑後川に架かる旧国鉄の鉄道橋で国の重要文化財、そして機械遺産に認定されるのが筑後川昇開橋。昭和10年に国鉄佐賀線の鉄道橋として完成し、昭和62年の佐賀線廃止とともに現役を退きまし…
武雄温泉(佐賀県武雄市)の玄関に位置する楼門をくぐると武雄温泉新館。設計はともに東京駅などを手がけた辰野金吾です。平成15年に復元工事が完成し、大正4年に建てられた当時の姿に戻されています。新館は大正3年8月6日に上棟し…
武雄温泉(佐賀県武雄市)の入口に建つ竜宮城を思わせる朱塗りの楼門。天平式楼門というクギを用いぬ建物は日本銀行本店、日本銀行大阪支店、東京駅、奈良ホテルなどと同じ辰野金吾の設計で大正4年築。国の重要文化財に指定されています…
吉備津神社と古代山城の鬼ノ城(きのじょう)のちょうど中間に鎮座する古社が矢喰宮(やぐいのみや)。吉備国平定のため派遣された四道将軍のひとり、吉備津彦命(きびつひこのみこと)と温羅(うら)と呼ばれた鬼(吉備津宮縁起によれば…
北麓には吉備津神社、東麓には吉備津彦神社、南麓には尾上車山古墳(国の史跡)があるという古代吉備国の聖なる山が岡山市の「吉備の中山」。その吉備の中山に造られた墳長120mの前方後円墳が中山茶臼山古墳。宮内庁は「大吉備津彦命…
備中と備前との国境、「吉備の中山」(きびのなかやま)を御神体とする吉備国総鎮守として創建された古社が岡山市北区吉備津に鎮座する吉備津神社。7世紀後半、吉備国が3分割された後に備中国一之宮として歴代の国司に崇められました。…
岡山市にある6世紀末(古墳時代後期〜終末期)に築造されたと推測される円墳が牟佐大塚古墳(むさおおつかこふん)。国の史跡に指定され、箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)、こうもり塚古墳と並んで、岡山県三大巨石墳のひとつ。裾部…
岡山県総社市の吉備路風土記の丘にある全長約100mの前方後円墳がこうもり塚古墳(国の史跡)。松林に覆われた後円部には、巨大な石を用いた全長19.4mの横穴式石室があり、その規模は全国でも最大。箭田大塚古墳、牟佐大塚古墳と…