伊賀国分寺跡
天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)で全国に造られた国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつが伊賀市にある伊賀国分寺。伊賀国分寺跡は、伊賀市街地の東方、名阪国道に隣接していますが、立体交差(高規格道路)のため…
天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)で全国に造られた国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつが伊賀市にある伊賀国分寺。伊賀国分寺跡は、伊賀市街地の東方、名阪国道に隣接していますが、立体交差(高規格道路)のため…
三重県埋蔵文化財センターと上野市教育委員会(当時/現在、上野市は伊賀市に)による発掘調査で判明した古代・伊賀国の政庁、伊賀国庁跡。木津川の支流、柘植(つげ)川右岸の段丘上に位置しています。政庁跡は東西、南北ともに41mの…
三重県松阪市宝塚町・光町にある古墳で、墳丘長は111mという伊勢地方最大の前方後円墳である宝塚1号墳、その北にある帆立貝形古墳の宝塚2号墳の2基で構成されるのが宝塚古墳。一帯は国の史跡に指定されています。かつて周囲には9…
三河湾に臨む愛知県西尾市吉良町にある西三河最大(墳丘長94m)の前方後円墳で国の史跡になっているのが正法寺古墳(しょうぼうじこふん)。周辺は田園地帯ですが、古墳が築造された古墳時代中期前葉(4世紀後葉〜5世紀初頭)には周…
見沼代用水西縁と芝川を結ぶ見沼通船堀西縁(みぬまつうせんぼりにしべり)の南、八丁堤(赤山街道=関東郡代の赤山陣屋と結ぶ街道)沿いにある旧家が鈴木家住宅。見沼干拓事業に参画し、享保16年(1731年)の見沼通船堀の完成と同…
生糸の輸出全盛時代に、新港埠頭と当時の横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ横浜臨港線として、明治43年8月15日に開通し、明治44年9月1日に横浜港荷扱所として開業したのが横浜港駅。大正9年7月23日付で正式に横浜港駅(よこは…
萩市街の北東、国道191号沿いの丘陵地に建つ萩反射炉。幕末の安政3年(1856年)に長州藩が大砲を造るために建設した反射炉(西洋式の金属溶解炉)で、近世の反射炉としては静岡県韮山とここにしか現存しない貴重なもの。世界遺産…
日本丸メモリアルパーク脇から、新港地区にある横浜ワールドポーターズまでの海上を歩く歩行者専用道が汽車道(きしゃみち)。かつての横浜臨港線の廃線跡で、みなとみらい21地区のホテル群や大観覧車を目に、のんびり歩けるプロムナー…
汽車道に3つ連続するかつての鉄道橋のうち、旧横浜駅(現・桜木町駅側)から3番目にあり、もっとも小さな橋が港三号橋梁。明治39年に架設された北海道炭礦鉄道夕張線の夕張川橋梁の100フィート鈑桁橋(鋼ワーレントラス橋)で昭和…
明治32年に始まった横浜港の新港埠頭の造成にともない明治44年に開通した横浜臨港線の2つ目の橋梁が港二号橋梁。現在は歩行者専用の汽車道の一部として保存されています。港一号橋梁と同様に、明治40年にアメリカン・ブリッジ社で…
明治44年に開通した初代横浜駅(桜木町駅)と新港埠頭を結ぶ臨港線に架橋された橋。現在は汽車道の遊歩道、人道橋として余生を送っています。1907年(明治40年)に、港二号橋梁とともにアメリカン・ブリッジで製作された30フィ…
伊奈氏は、徳川家康に従い関東入国すると、治水、新田開発に従事しました。伊奈忠治(いなただはる)は代官職を継ぐと幕府から赤山領7000石を下賜され、武蔵国赤山(現・埼玉県川口市赤山)に赤山陣屋を築いています。この陣屋を拠点…
織田信長の死後、羽柴秀吉と徳川家康が覇権を争って戦った小牧・長久手の戦いの主戦場・長久手古戦場仏ヶ根跡を公園として整備したのが長久手古戦場公園。長久手合戦では家康軍が勝利を収め、秀吉軍には多数の戦死者(両軍の死者は秀吉軍…
福島県の二本松市街から東へと延びる国道459号沿いの東新殿(国道349号との分岐点近く)に咲く2本の桜の巨樹が「合戦場のしだれ桜」。合戦場という名は平安時代後期に起きた前九年の役(ぜんくねんのえき)の戦場という伝承から。…
長野県小諸市の懐古園(小諸城跡)の馬場に咲く小諸八重紅枝垂。紫がかった濃い桃色が特徴の桜で、明治13年に懐古園を所有していた士族会が植栽したもの。現在では樹齢100年超の3本が残るのみで、保存会が発足して保護育成に努めて…
東京都東村山市にある臨済宗建長寺派の寺、正福寺(しょうふくじ)。江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』によれば、開基は北条時頼、開山は石渓心月(仏海禅師)と記されています。応永14年(1407年)建立とされる柿葺き(こ…
天平11年(738年)、行基開山と伝えられる古刹が京都府木津川市の浄瑠璃寺(じょうるりじ)。永承2年(1047年)、義明上人が、薬師如来を本尊に小さな堂を建立。保元2年(1157年)に現在の本堂(九体阿弥陀堂)が建てられ…
元和5年(1619年)の肥後八代地震(M6.0)で球磨川の河口にあった麦島城が崩壊したため、元和8年(1622年)に熊本藩主・加藤忠広(加藤清正の子)が松江村に築いた城が八代城(やつしろじょう=松江城)。現存するのは、水…