徳川家康公像
愛知県岡崎市の名鉄東岡崎駅前、ペデストリアンデッキ上に設置されるのが、徳川家康公像。乙川リバーフロント地区整備事業の一環、新たな岡崎市のシンボルとして令和元年11月2日に除幕された新しい像で、松平から徳川に改姓した25歳…
愛知県岡崎市の名鉄東岡崎駅前、ペデストリアンデッキ上に設置されるのが、徳川家康公像。乙川リバーフロント地区整備事業の一環、新たな岡崎市のシンボルとして令和元年11月2日に除幕された新しい像で、松平から徳川に改姓した25歳…
静岡県静岡市葵区紺屋町、静岡駅に近い呉服町通り沿いに建つ徳川家康ゆかりの社が、小梳神社(おぐしじんじゃ)。今川家の人質となった竹千代(徳川家康の幼名)が今川義元に対面する前にこの神社に立ち寄り、武運長久を祈願したと伝えら…
静岡県静岡市葵区井宮町、賤機山(しずはたやま)の西麓に建つ曹洞宗の寺が、瑞龍寺。境内にある墓地の最奥、高台にあるのが、旭姫の墓。旭姫は豊臣秀吉の妹で、家康と秀吉の雌雄を決する小牧・長久手の戦いの後、それまでの夫と離別して…
静岡県静岡市葵区井宮町、賤機山(しずはたやま)の西麓に建つ曹洞宗の寺が、瑞龍寺。徳川家康ゆかりの禅寺で、境内の墓地の奥には徳川家康の正室(継室)・旭姫(豊臣秀吉の妹で、政略結婚で家康に嫁ぐ)の墓があり、旭姫の菩提寺にもな…
静岡県静岡市葵区常磐町2丁目、2代将軍・徳川秀忠を生んだ西郷局(さいごうのつぼね)の菩提寺が、宝台院。永正4年(1507年)、鎌倉の浄土宗のお十夜法要を創始した光明寺9世・観誉祐崇上人が創建した龍泉寺(創建当時は柚の木に…
静岡市葵区、大御所となった徳川家康の居城、駿府城の本丸と二の丸跡を整備した駿府城公園。その本丸跡、徳川家康公之像近くににあるのが、家康手植のミカン。家康手植の蜜柑(みかん)の名で、静岡県の天然記念物にも指定されています。
東京都墨田区横網1丁目、両国の東京都江戸東京博物館北側に立つのが、徳川家康公銅像。徳川家康の銅像は、静岡、岡崎など各地にありますが、東京都内には両国の銅像が唯一。江戸の町を整備し、幕府を開いた徳川家康の像が東京ないことか…
静岡県静岡市葵区黒金町、JR静岡駅北口広場に立つのが、徳川家康公之像。徳川家康公之像は駿府城公園(駿府城本丸跡)にもありますが、静岡駅北口広場が壮年期、駿府城が大御所時代のもの。静岡駅北口広場には今川義元の人質時代だった…
静岡県静岡市葵区黒金町、JR静岡駅北口に立つのが、竹千代君・今川義元公像。竹千代は、徳川家康の幼名で、8歳〜19歳の間、駿府の今川義元の元で、人質生活を送っていますが、その時の姿を表した像を静岡駅北口広場に平成21年3月…
静岡県浜松市北区三ヶ日町にある真言宗の古刹が、大福寺。貞観17年(875年)、教待(きょうたい)が富幕山(とんまくやま/563.2m)に開創した幡教寺が前身で(標高397mの地点の幡教寺跡地が園地になっています)。大福寺…
東京都文京区小石川3丁目、伝通院(傳通院)の墓地にあるのが、於大の方の墓(おだいのかたのはか)。於大の方は、慶長7年8月28日(1602年10月13日)、家康の滞在する伏見城(現・京都市伏見区)で没。墓所が伝通院ですが、…
大阪府堺市堺区にある日蓮宗の本山が妙国寺(廣普山妙國寺)。永禄5年(1562年)、摂津・河内・和泉3国を領有した三好実休(みよしじっきゅう)が京・頂妙寺の日晄(にっこう)に帰依、東西3丁・南北5丁の境内地と蘇鉄(そてつ)…
愛知県岡崎市明大寺町にある松平家(徳川家)ゆかりの古社が六所神社(ろくしょじんじゃ)。岡崎城で竹千代(後の徳川家康)が生まれたときには産土神として参拝したと伝えられ、3代将軍・徳川家光が寄進した遠州大工・鈴木長次(江戸城…
京都府京都市東山区にある天台宗の寺、方広寺。豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立したことで知られますが、もうひとつ有名なのが国家安康の鐘。大坂冬の陣・夏の陣の原因とされる、銘文「国家安康・君臣豊楽」が刻まれた鐘ですが…
四天王とは、東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天という具合に仏法僧を守護している四神のこと。転じて徳川四天王は、仏法守護の四神のように、徳川家康を守り、徳川幕府を開くまでに尽力した酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、…
京都市伏見区桃山町、大坂と用を結ぶ水運の要衝の地・伏見に豊臣秀吉が隠居所として築いた豪壮な城が伏見城。現在は2代目の伏見城(木幡山伏見城)城跡一帯が伏見桃山城運動公園として整備されています。模擬天守も建っていますが、本丸…
東京都江東区、江東デルタ地帯を東西に横断し、隅田川と旧中川を結ぶ全長4640mの運河が小名木川。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命で、領地を取り上げられ、江戸に移封された徳川家康が、最初に行なったのが舟運の確保で、そ…
愛知県岡崎市本宿町にある浄土宗の寺、法蔵寺(ほうぞうじ)。寺伝によれば大宝元年(701年)、行基によって法相宗の二村山出生寺として開山という古刹。松平家の菩提寺で、徳川家康も竹千代時代にこの寺で学んでいます。近藤勇の首を…