舞鶴引揚記念館
昭和20年、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを舞鶴港の岸壁で待つ母親をマスコミが取り上げて、「岸壁の母」と呼ぶように。舞台となった京都府舞鶴市の引き揚げ桟橋近くに建つのが舞鶴引揚記念館です。平成3…
昭和20年、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを舞鶴港の岸壁で待つ母親をマスコミが取り上げて、「岸壁の母」と呼ぶように。舞台となった京都府舞鶴市の引き揚げ桟橋近くに建つのが舞鶴引揚記念館です。平成3…
12棟が現存する舞鶴市の赤れんが倉庫群の1棟である旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(明治35年築)を再生した記念館が舞鶴市政記念館。舞鶴赤レンガ倉庫群の一つとして重要文化財、近代化遺産(文化庁)に指定。2階には展示コーナーが…
岩宿の赤土(関東ローム層)から石斧などが発見され、考古学会の常識を覆し、日本にも旧石器時代(岩宿時代)が存在したことを立証した岩宿遺跡(群馬県みどり市)。遺跡に隣接して建つ岩宿博物館では、日本に旧石器・先土器時代があるこ…
群馬県前橋市、敷島公園ばら園内にある戦前、日本一の蚕糸の町として栄えた前橋の歴史を伝える博物館が前橋市蚕糸記念館。建物は、明治45年に前橋市岩神町(現・前橋市昭和町3丁目)に建てられた国立原蠶種製造所(原蠶種/原蚕種=げ…
群馬県桐生市(きりゅうし)にある県立の施設が県立ぐんま昆虫の森で、45haの敷地に雑木林ゾーン、水田ゾーン、桑畑ゾーン、冨士山沼ゾーンなどに分かれた里山を再現。自然環境に近い状態で多種にわたる昆虫を飼育し、昆虫を探し、手…
江戸時代、世界に2つしかなかったという女性の縁切寺(駆け込み寺)が、群馬県太田市の満徳寺と鎌倉の東慶寺。ともに徳川家ゆかりの尼寺で、満徳寺は、明治維新後、檀家がないために廃寺に。太田市立縁切寺満徳寺資料館は旧境内の一角に…
群馬県太田市の世良田東照宮、長楽寺に隣接する歴史公園に建つ新田荘を中心とする一帯の歴史を解説する資料館が太田市立新田荘歴史資料館。古墳時代には1000基を超える古墳が築かれた東日本最大の勢力を誇る毛野国(けぬくに)の中心…
青森県つがる市、遮光器土偶の出土で知られる世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺産群」の構成資産のひとつ亀ヶ岡石器時代遺跡のガイダンス施設。つがる市農業者トレーニングセンター 縄文館に併設され、亀ヶ岡遺跡で出土された土器や…
明治時代にハワイへの移民(政府が斡旋した官約移民合計2万9084人)がもっとも多かったのが広島県(1万1122人)、次いで山口県(1万424人)で、山口県のうちでも大島郡(現・周防大島町)から多くの人々が移民となってハワ…
『走れメロス』、『人間失格』、『斜陽』などで知られる作家・太宰治(だざいおさむ/本名:津島修治)は、青森県北津軽郡金木村(現・五所川原市)の出身。その生家が太宰治記念館「斜陽館」として保存、公開されています。太宰治の父で…
『荒城の月』、『箱根八里』などの作曲で知られる瀧廉太郎(滝廉太郎/たきれんたろう)が少年時代を過ごした大分県竹田市の屋敷を再生利用したミュージアムが瀧廉太郎記念館。不朽の名曲『荒城の月』を残し、23歳という若さで夭折した…
群馬県嬬恋村鎌原の「日本のポンペイ」と呼ばれ、奇跡的に埋没を逃れ93名の命を救った鎌原観音堂に隣接して建つのが「嬬恋郷土資料館」。天明3年(1783年)旧暦7月8日の浅間山の大爆発で発生した土石なだれで埋没した旧鎌原村か…
富国強兵政策を背景に20世紀初頭には国内の銅の4割を生産していたという足尾銅山。慶長15年(1610年)に鉱床が発見され、明治16年に生産量日本一になっています。昭和9年に鉱毒流出事件を起こしたことでも有名で、閉山したの…
栃木県栃木市の中心部を流れる巴波川(うずまがわ)沿いに建つ120mほどの黒塗りの舟板塀が目印の建物で、塚田記念館とも呼ばれています。江戸時代後期の弘化年間(1844年~1848年)に開業した木材回漕問屋・塚田家の屋敷で、…
栃木県栃木市にある当主で26代という歴史を有する旧家・岡田家の邸宅を記念館としたのが岡田記念館。江戸時代に未開地を開墾し、村民の生活の基盤を築いたことから名主となり、例幣使街道沿いの現在地に住居を構えたのだとか。藩政時代…
栃木県栃木市で2年に一度盛大に行なわれる『とちぎ秋まつり』で繰り出される人形山車を保存・展示してする施設。山車展示室には常時3台の人形山車を展示し、あとは定期的に入れ替えをおこなっています。デジタル技術を駆使した演出で『…
陶芸の町、益子焼の作品が展示されている「益子陶芸美術館」を中心に、益子町出身の版画家・笹島喜平からの寄贈作品を展示する「笹島喜平館」、国内外で活躍するアーティストが益子で滞在制作活動を行なう「益子国際工芸交流館」、益子焼…
栃木県益子町は、益子焼(ましこやき)の250の窯元、50の陶器店が軒を並べる焼き物の町。国内はおろか世界でも有名ですが、そのきっかけを作ったのが陶芸作家の濱田庄司氏。益子参考館は氏が生前住居兼作陶場としていた敷地を利用し…