瀬底土帝君
沖縄県本部町(もとぶちょう)、瀬底大橋で結ばれる瀬底島の瀬底公民館近くにある中国古来の土地神(土地公)を祀る施設が瀬底土帝君(せそことーていーくん)。土帝君は、中国の土地神で、土地の守護神とも農業の神様ともいわれています…
沖縄県本部町(もとぶちょう)、瀬底大橋で結ばれる瀬底島の瀬底公民館近くにある中国古来の土地神(土地公)を祀る施設が瀬底土帝君(せそことーていーくん)。土帝君は、中国の土地神で、土地の守護神とも農業の神様ともいわれています…
沖縄県伊江村、伊江島の南西の海岸にある琉球石灰岩が浸食された巨大な洞(ガマ)がニャティヤ洞(にゃてぃやがま)。沖縄戦の時に防空壕としても利用され、多くの人を収容したので「千人洞」(せんにんがま)とも呼ばれている。ユタ(沖…
沖縄県うるま市の浜比嘉島(はまひがしま)の南部にある伝説の遺跡がシルミチュー霊場。海中道路と浜比嘉橋を車で渡った比嘉漁港の南の森の中にある巨大な洞窟。琉球開闢(かいびゃく)の祖神、女神・アマミキヨ(アマミチュー)、男神・…
琉球開闢の国造り神話にまつわる伝説の島が、沖縄県うるま市の浜比嘉島(はまひがしま)。島の北部にある東の御嶽(あがりのうたき)は、旧暦の6月28日と8月28日に海の時化(しけ)を祈願する『シヌグ祭り』が行なわれることからシ…
沖縄県那覇市若狭にある海岸に臨む断崖上に建つ古社が波上宮(なみのうえぐう)。彼方の海神の国(ニライカナイ)を望む聖地で、琉球王から特別の扱いを受けた「琉球八社」(琉球に伝わった真言宗の寺院に付帯した神社)のひとつにもなっ…
琉球開びゃくの始祖、アマミキヨが造った琉球七御嶽のひとつが沖縄県南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)。王国最高位の女神官である聞得大君(きこえおおぎみ)の就任儀式「御新下り」が行なわれた琉球王国最高の聖地(御嶽)で世界…
沖縄県那覇市、かつて首里城の城下町だった金城町にあるのが内金城嶽(うちかなぐすくたき)。「金城町の大アカギ」と呼ばれる巨木の茂る森の一角、神々を祀った御嶽(うたき)が内金城嶽です。御嶽は、守護神が祀られる場所や聖地を意味…
沖縄県那覇市、首里公園にある円覚寺跡総門前の円鑑池(えんかんち)の中の島にある小堂とそこに渡る橋が天女橋・弁財天堂。弁財天堂は、1502年に、朝鮮王から贈られた経典を収納するため琉球王・尚真王(しょうしんおう)が建立。そ…
福井県鯖江市深江町にある曹洞宗の寺、萬慶寺(ばんけいじ)。享保5年(1720年)、初代鯖江藩主・間部詮言(まなべあきとき)が越後国村上藩から入封した際に村上の常福寺の僧・陽光が現在の桜町付近に万松庵を建立したのが始まり。…
福井県小浜市の南川東岸に広がる田園地帯にある臨済宗南禅寺派の寺、圓照寺(円照寺)は大化年間(645年~650年)に創建されたという古刹。初めは遠松寺という名の真言宗の寺で、南川西岸にありましたが、洪水で流された後、文安元…
福井県小浜市郊外の羽賀山にある高野山真言宗の古刹、羽賀寺(はがじ)。山号は鳳聚山。鳳凰が飛来してこの山に羽を落としたことを喜んだ当時の女帝・元正天皇の勅命により、霊亀2年(716年)、行基が創建したということから付けられ…
三重県亀山市、東海道の関宿にある真言宗御室派の寺が関地蔵院。天平13年(741年)、国中に流行した天然痘から人々を救済するため行基によって創建されたという古刹で、本尊の地蔵菩薩坐像は日本最古の地蔵菩薩といわれています。正…
神宮(伊勢神宮)、内宮(ないくう=皇大神宮)参道途中、五十鈴川沿いにある古来からの禊(みそぎ)の場が御手洗場(みたらし)。宇治橋の前で一礼し、心も正して宇治橋を渡り、一の鳥居をくぐった先で五十鈴川に出ると御手洗場がありま…
中国・清朝の対日政策の変更による唐船(中国商船)の往来の増加による密貿易対策として、元禄2年(1689年)、長崎各地に住んでいる中国人を集めて造られた外国人居留地が、唐人屋敷。その遺構のひとつが旧唐人屋敷・観音堂で、瓢簟…
長崎県長崎市館内町にある、鎖国時代の日本の交易を支えた中国人(唐人)たちの居留地に築かれた媽祖廟(まそびょう)の遺構が旧唐人屋敷・天后堂。天后堂(てんこうどう)は、元文元年(1736年)に、南京出身の人々が航海の安全を祈…
昭和20年8月9日、長崎県長崎市に投下された原爆の熱線と強烈な爆風のため、山王神社の社殿は倒壊。参道に現存する鳥居は、その原爆投下時の遺物として、世界的にも有名になった「一本柱鳥居」。これは爆心地の南東約900mに位置し…
鎖国政策の中、江戸時代の長崎(現・長崎県長崎市)には1万人もの中国人が暮らしていたと推測されていますが、元禄4年(1691年)、唐船(中国船)の船頭たちの願いが許可され、当時中国人の居留地だった唐人屋敷入口に建立された土…
横浜中華街、長崎新地中華街と並ぶ日本三大中華街が神戸市中央区の南京町。開港とともに通訳、そして貿易商としてやってきた華僑がルーツの南京町のシンボルが、関帝廟(かんていびょう)。明治21年の創建で、関帝聖君を主神に、大慈大…