猿倉山森林公園風の城(猿倉城跡)
富山県富山市寺家、標高344.6mの猿倉山山頂にある展望施設が猿倉山森林公園風の城。戦国時代の山城、猿倉城の城跡。直下まで車で到達できますが、440段の階段を上る必要があります。猿倉山は神通川第2ダムの北側、北アルプスか…
富山県富山市寺家、標高344.6mの猿倉山山頂にある展望施設が猿倉山森林公園風の城。戦国時代の山城、猿倉城の城跡。直下まで車で到達できますが、440段の階段を上る必要があります。猿倉山は神通川第2ダムの北側、北アルプスか…
大分県日出町(ひじまち)、北側から別府湾に突き出した南端の台地に築かれた平山城が日出城(ひじじょう)。慶長7年(1602年)、初代藩主・木下延俊(きのしたのぶとし)が築いたもので、3代藩主・木下俊長が中国古書『淮南子』よ…
山形県米沢市にある松が岬公園は、江戸時代に上杉家の居城、米沢藩の藩庁だった米沢城跡に整備された公園で、城下町の歴史と文化の中心地ともなっている公園。県内屈指の桜の名所で、市民の憩いの場。本丸跡には上杉謙信が祀る上杉神社が…
秋田県横手市城山町にある城跡公園が横手城跡(横手公園)。中世に築かれた山城をルーツとする横手城の城跡で、慶長7年(1602年)、久保田城に秋田藩初代藩主・佐竹義宣(さたけよしのぶ)が転封されると横手城はその支城に。元和6…
静岡県静岡市清水区にある江戸時代に現在の小島地区一帯を統治した駿河国小島藩(おじまはん)の陣屋跡が小島陣屋跡。小島藩は2万石という小藩で、城を構えることが許されず、藩主の居館は小島陣屋でした。小島陣屋の遺構として石垣など…
山梨県大月市街の北側にそびえる標高634mの岩峰が岩殿山。武田二十四将のひとり、小山田信茂(おやまだのぶしげ)が、天然の要害を利用して山上に岩殿城(いわどのじょう)を築いた地。JR・富士急行線大月駅から山頂までは、大岩壁…
和歌山県新宮市、熊野川(新宮川)を眼下にする丹鶴(たんかく)山にあり、丹鶴城とも呼ばれた近世城郭の城跡が新宮城。慶長6年(1601年)、和歌山城主・浅野幸長(よしなが)の一族、浅野忠吉が築城。元和元年(1615年)の一国…
岐阜県中津川市にあった中世から近世の山城が苗木城(なえぎじょう)。天文元年(1532年)、美濃国岩村城主・遠山景前(とおやまかげさき)の弟、遠山直廉(とおやまなおかど)が木曽川に臨む標高433mの高森山(通称:城山)に築…
岡山市西部・備中高松にある城跡公園が備中高松城址公園。高松城は毛利氏の名将・清水宗治(しみずむねはる)の居城で、山陰と山陽を連絡する松山往来の要衝に築かれていました。讃岐高松城と区別して備中高松城と通称され、羽柴秀吉の水…
埼玉県加須市にあった中世から近世初頭の城が騎西城(きさいじょう)。築城時期は不明ですが、戦国時代には上杉家と北条家の攻防の場所となりました。江戸時代初めには徳川家康の側近が城主を務めていましたが、寛永9年(1632年)に…
関東七名城、日本100名城に選定される川越城。現存する川越城本丸御殿は、二の丸にあった御殿が幕末の弘化3年(1846年) に焼失したため、嘉永元年(1848年)、松平斉典(まつだいら なりつね)が再建したもので、その一部…
平成19年に築城400周年を迎えた熊本城(熊本県熊本市)で、熊本城第2期復元整備計画(平成20年度~平成29年度)で復元が行なわれたのが本丸御殿。本丸御殿大広間が一般公開され、居間であり、対面所(接客の場)としても使用さ…
戦国時代末期から江戸時代初頭に築かれた城は、まだまだ防御が重視されていました。湖を堀代わりに、さらに物資輸送などに湖上交通を活用したのが「湖城」です。諏訪湖の高島城(長野県諏訪市)、琵琶湖の膳所城(ぜぜじょう/滋賀県大津…
日本100名城に数えられる小田原城(神奈川県小田原市)。現存する小田原城天守閣は、昭和35年、小田原市制20周年記念事業として総工費8000万円をかけて建設された復興天守。宝永3年(1706年)の再建の際に作られた模型や…
神奈川県小田原市、小田原城本丸西側の高台にある運動公園が城山公園(海と城の見える丘)。城山公園と名がつくのは戦国時代、小田原は町全体が城郭都市と化していましたが、三の丸外郭に相当するから。運動公園になっていますが、空堀の…
小田原から箱根へと上る箱根ターンパイク沿いにある標高262mの尾根状のピークが石垣山。ミカン畑が広がるのどかな山ですが、東は相模湾に臨み、北は小田原市街を眼下にするという立地から、戦国時代末に豊臣秀吉が「石垣山一夜城」を…
高い石垣で囲まれた小田原城本丸の正面に位置するのが常盤木門。本丸の出入は東の常盤木門と北側の鉄門(くろがねもん)という2つの門を使用していましたが、常盤木門が大手側(正門)にあたり、重要な防御拠点であったために、他の門と…
「日本100名城」に選定される小田原城二の丸の表門が銅門(あかがねもん)。馬屋曲輪(うまやくるわ)から二の丸へ登城する途中にある門で、現在の門は平成9年の復元。石垣による桝形(ますがた)、内仕切門(一の門)と渡櫓門(わた…