港二号橋梁(汽車道)
明治32年に始まった横浜港の新港埠頭の造成にともない明治44年に開通した横浜臨港線の2つ目の橋梁が港二号橋梁。現在は歩行者専用の汽車道の一部として保存されています。港一号橋梁と同様に、明治40年にアメリカン・ブリッジ社で…
明治32年に始まった横浜港の新港埠頭の造成にともない明治44年に開通した横浜臨港線の2つ目の橋梁が港二号橋梁。現在は歩行者専用の汽車道の一部として保存されています。港一号橋梁と同様に、明治40年にアメリカン・ブリッジ社で…
北軽井沢商店街の中心ロータリーの一角に建つ一見すると寺院のような建物。これがかつてここを走った軽便鉄道(けいべんてつどう)、草津軽便鉄道(大正14年以降は草軽電気鉄道)の北軽井沢駅駅舎。草津軽便鉄道は大正元年に軽井沢と草…
博物館明治村に移築された西郷隆盛の弟・西郷従道(さいごうじゅうどう・つぐみち=西郷從道)の邸宅。兄・隆盛が征韓論を唱えて下野した際も政府内に残り、内閣制度発足で初代海軍大臣になっています。明治10年代に建てられた洋館には…
日本で最初の営業目的の水力発電所は、京都・蹴上の琵琶湖疏水を利用した「蹴上発電所」(明治24年6月稼働開始)。12月からは京都電灯会社に電力の供給を開始し、蹴上に設置されたインクラインの動力もこの発電所で生まれる電気で供…
三条通から南禅寺に抜ける歩行者用の小径にあるレンガ造りのトンネルが蹴上ねじりまんぽ。その上には琵琶湖疏水(びわこそすい)が通り、船を運んだ傾斜鉄道、インクラインがありました。「ねじりまんぽ」とはレンガの組み方で、大きな負…
明治初頭から、横浜有数の「銅鉄引取商」として輸入鉄鋼の販売を営んでいた柳下平次郎の邸宅が旧柳下邸。明治時代後期から大正時代、海を見渡せる根岸の高台は外国人住宅や、日本人の別荘や邸宅などが数多く建てられました。現存するのは…
東京都中央区日本橋に建つ日本銀行本店本館は、明治29年2月29日竣工で辰野金吾(たつのきんご)設計の建物では現存する最古のもの。耐震性にも重きが置かれ、2階・3階は石積みレンガ造りの構造となっています。国の重要文化財に指…
長崎市内を流れる中島川に架かる眼鏡橋は日本で初めてつくられたアーチ型石橋。唐寺である興福寺第2代目住職の黙子如定(もくすにょじょう)が、参詣者のためにと江戸時代初めの寛永11年(1634年)に架けられたといわれ、長さ23…
諫早城(いさはやじょう=高城城)の城跡を整備した長崎県諫早市の諫早公園。その園内にある眼鏡橋(めがねばし)はもともと、諫早公園のそばを流れる暴れ川・本明川に架かっていた、天保10年(1839年)架橋の石橋。橋に階段があり…
伊勢崎藩医だった今村家が、明治45年に建てた現存する県内最古の擬洋風の医院建築がいせさき明治館(黒羽根内科医院旧館)。伊勢崎保健所、黒羽根内科医院などに使われましたが、黒羽根内科医院の新館完成で伊勢崎市へ寄贈され、現在地…
神戸市立博物館は、昭和10年に旧居留地に建てられた旧横浜正金銀行神戸支店を再生したギリシャ神殿を思わせる重厚な建物のミュージアム。「国際文化交流-東西文化の接触と変容」を基本テーマに神戸に関する歴史資料などを展示公開して…
神戸の旧雑居地、現在の海岸通りに建つ明治44年築のレトロなビル。煉瓦造り3階建ての事務所建築で、設計は河合浩蔵、施工は旗手組。戦災で屋上のペディメント焼失。さらに内装の大部分と外部装飾の一部を失っていますが、唐破風状の曲…
神戸の居留地に隣接する雑居地、メリケン波止場(メリケン=アメリカの意)を前にする初代米国領事館の跡地に大正7年に建築された日本郵船神戸支店。当初は銅葺きの屋根と円形ドームを戴いていましたが、残念ながら空襲で焼失。耐震補強…
チャータードビルは、昭和13年に建てられた英国のチャータード銀行(Chartered Bank/現在の世界的な銀行金融グループ・スタンダードチャータード銀行)神戸支店。現存する神戸旧居留地海岸通を代表する近代建築のひとつ…
最勝院は弘前市にある真言宗智山派の寺。重要文化財に指定されている塔としては日本最北の五重塔が有名です。1667(寛文7)年、3代藩主の津軽信義の案により、藩創始以来の戦死者を敵味方の区別なく弔うために建てられたもの。10…
1596(慶長元)年、南津軽郡大光寺村(現在の平川市)に建立され、弘前城築城後の1615(元和元)年に現在地に移築されたのが浄土宗の誓願寺。長勝寺を中心に33ヶ寺の禅寺(曹洞宗寺院)を集めた西茂森禅林街、東側の守りとした…
青森県弘前市の寺町(禅林街)にある蘭庭院(らんていいん)は、弘前藩2代藩主。津軽信枚が弘前城西南の抑えとして寺院を集めた禅林街33ヶ寺の一つで曹洞宗の寺。蘭庭院は院号で開基の津軽為信姉の戒名である蘭庭薫香大禅尼から付けら…
開港と同時に設置された神戸の外国人居留地は明治32年に日本に返還され、第一次大戦後には貿易や造船ラッシュで好景気に沸き上がります。そんな中、大正11年に大阪商船神戸支店として建築された商船三井ビルディングは、渡辺節の設計…