北区立中央公園
東京都北区十条台1丁目、6.56haという北区では飛鳥山公園に次ぐ面積を誇る区立公園が、北区立中央公園(正式名は東京都北区立中央公園)。戦前は明治38年に開設された東京砲兵工廠銃包製造所を前身とする軍用地で、戦後はアメリ…
東京都北区十条台1丁目、6.56haという北区では飛鳥山公園に次ぐ面積を誇る区立公園が、北区立中央公園(正式名は東京都北区立中央公園)。戦前は明治38年に開設された東京砲兵工廠銃包製造所を前身とする軍用地で、戦後はアメリ…
東京都北区十条台1丁目、北区立中央公園の一画にあるのが北区立中央図書館。レンガ建築の旧東京砲兵工廠銃砲製造所を再生したもので、赤レンガ図書館とも呼ばれています。戦後、陸上自衛隊十条駐屯地275号棟として使われていましたが…
東京都北区十条台1丁目にある北区内のサークルやグループの学習・文化活動の場となっているのが北区立中央公園文化センター。建物は、昭和5年築の旧東京第一陸軍造兵廠本部(きゅうとうきょうだいいちりくぐんぞうへいしょうほんぶ)を…
東京都武蔵野市関前3丁目、かつて陸海軍の航空機のエンジンを製作していた中島飛行機武蔵製作所への引込線だったグリーンパーク遊歩道途中にあるのが、関前高射砲陣地跡(せきまえこうしゃほうじんちあと)。戦時中、中島飛行機武蔵製作…
伊豆諸島(三宅島、神津島、新島、大島)への新中央航空の定期路線の発着する東京都調布飛行場は、昭和16年4月30日に開設された東京調布飛行場が前身。その開設当時の門柱が、東京都調布飛行場近くの大沢グラウンド道路脇(東京都三…
東京都三鷹市、武蔵野の森公園の展望台の北側にある第二次世界大戦の戦争遺跡が、掩体壕大沢2号(えんたいごうおおさわにごう)。掩体壕とは飛行場に備わった空襲から航空機を守るためのコンクリート製の格納庫。一帯は、戦…
東京都三鷹市、武蔵野の森公園内にある戦争遺跡が、掩体壕大沢1号(えんたいごうおおさわいちごう)。掩体壕とは飛行場に備わった空襲から航空機を守るためのコンクリート製の格納庫。一帯は、陸軍調布飛行場跡で、大沢1号の前には「飛…
愛媛県今治市、芸予諸島の小島(おしま)にあるのが、芸予要塞(来島要塞)・小島砲台跡。小島は、来島村上海賊の拠点だった島で、まさに瀬戸内海の要衝。芸予要塞は、日清戦争後の明治30年に大日本帝国陸軍が着工した要塞で、明治32…
群馬県高崎市にある群馬県立の都市公園が、群馬の森。 広大な敷地は、明治15年に黒色火薬の製造を開始した東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所の跡地。戦後は日本火薬製造(日本化薬)として火薬製造が行なわれましたが、昭和45年…
愛媛県西宇和郡伊方町、豊予海峡へと伸びる佐田岬半島の先端(四国最西端)、御籠島(みかごじま/大島)にあるのが、洞窟式砲台跡(佐田岬第四砲台)。太平洋戦争末期に築かれた帝国陸軍・豊予要塞の穹窖砲台(きゅうこうほうだい)のひ…
愛媛県西宇和郡伊方町、豊予海峡へと伸びる佐田岬半島の先端部北側にある軍用桟橋の遺構が、旧正野谷桟橋(きゅうしょうのだにさんばし)。長さ50m、幅5mのコンクリートと一部鉄製の桟橋。陸軍豊予要塞・佐田岬第二砲台の資材陸揚げ…
千葉県富津市富津、富津岬の沖合の浅瀬に築かれているのが第一海堡。東京湾要塞の一部として、富津岬側から第一海堡、第二海堡、第三海堡と3ヶ所築かれた海上砲台のひとつで、明治14年8月起工、明治23年12月完成と、最初に築かれ…
千葉県富津市富津、富津岬の沖合、東京湾の中央にあるのが第二海堡。東京湾要塞の一部として、富津岬側から第一海堡、第二海堡、第三海堡と3ヶ所築かれた海上砲台のひとつ。第二海堡は、明治22年に起工し、難工事の末、大正3年に完成…
宮城県仙台市宮城野区の榴岡公園(つつじがおかこうえん)にある仙台市の近現代史、民俗、文化を紹介するミュージアムが仙台市歴史民俗資料館。建物は、旧日本陸軍第二師団歩兵第四連隊兵舎。建築は明治7年、あるいは明治9年と推測され…
神奈川県横須賀市田浦町、JR横須賀線田浦駅から南へ伸びる道の途中にある、文字通り「の」の字を描いてループする坂道がのの字坂。ループの真ん中は田浦1丁目公園で、ブランコ、すべり台が整備される児童公園になっています。もともと…
神奈川県横須賀市、三浦海岸の背後に広がる丘陵地が武山、砲台山、三浦富士。武山の東にある砲台山と通称される大塚山(204m)は、一帯の最高峰で、戦前に海軍の武山高角砲台が配置されていたことで砲台山と呼ばれています。今も高角…
和歌山県和歌山市深山(みやま)、明治時代に築かれた由良要塞の一部となる戦争遺跡が深山砲台跡(深山要塞跡)。友ヶ島にある砲台群と同様に大阪湾を守る砲台として築かれたもので、休暇村紀州加太へと向かうアクセス道路途中から深山第…
神奈川県三浦市、三浦半島南端の城ヶ島に設置された砲台の跡が城ヶ島砲台跡。文化5年(1808年)、浦賀奉行・岩本正倫が異国船監視の砲台を築いたのが始まりで、大正15年、三浦半島の要塞化に伴い東京湾要塞の一部として本格的な砲…