醒井宿資料館・醒井宿問屋場(旧川口家住宅)
滋賀県米原市醒井、中山道江戸から数えて61番目の宿場町として栄えた醒井宿(醒ヶ井宿/さめがいじゅく)。宿場の中央、本陣跡の近くに現存するのが醒井宿問屋場(旧川口家住宅)の建物で、旧醒ヶ井郵便局とともに醒井宿資料館として公…
滋賀県米原市醒井、中山道江戸から数えて61番目の宿場町として栄えた醒井宿(醒ヶ井宿/さめがいじゅく)。宿場の中央、本陣跡の近くに現存するのが醒井宿問屋場(旧川口家住宅)の建物で、旧醒ヶ井郵便局とともに醒井宿資料館として公…
滋賀県米原市醒井、中山道江戸から数えて61番目の宿場町として栄えた醒井宿(醒ヶ井宿/さめがいじゅく)。古くから清冽な湧き水でも有名な所で、「居醒の清水」(いざめのしみず)を源流とする地蔵川が街道に沿って流れ、7~8月頃に…
滋賀県長浜市木之本町、北国街道(ほっこくかいどう)の木之本宿にある昔ながらの醤油醸造所が白木屋醤油店。北国街道に面して建つ建物は、江戸時代後期の天保年間(1830年〜1844年)築の旅籠(はたご)建築で、白木屋醤油店主屋…
滋賀県長浜市木之本町にある北国街道(ほっこくかいどう)の宿場町が木之本宿(きのもとじゅく)。鳥居本宿(現・滋賀県彦根市鳥居本町)で中山道と分かれ、金沢城下を結んだ北国街道。その宿場として栄えたのが木之本宿で、今庄宿(現・…
滋賀県湖南市の雨山文化運動公園、東海道・石部宿(いしべしゅく)を復元した「石部宿場の里」にあるミュージアムが東海道石部宿歴史民俗資料館。東海道、江戸から数えて51番目の宿場が石部宿で、宿場の南に位置する資料館では、石部宿…
滋賀県長浜市湖北町伊部にある、街道時代の本陣跡が北国脇往還伊部本陣跡。中山道関ヶ原宿と北国街道木之本宿を結ぶ街道が北国脇往還。伊部宿は脇往還のほぼ中間に位置し、本陣、問屋が各1軒、旅籠11軒、伝馬13疋が常備される大きな…
滋賀県長浜市西浅井町、越前国(敦賀)と近江国(塩津)を結ぶ最短ルートとして古から使われた塩津街道・深坂峠越えの道が深坂古道。現在は国道8号となった塩津街道の旧道で、深坂峠の手前にある深坂地蔵堂は、当時貴重品だった北陸の塩…
琵琶湖の最北岸、滋賀県長浜市西浅井町にある歴史的景観が塩津街道塩津浜の家並み。古代から琵琶湖舟運の拠点として繁栄した塩津浜。琵琶湖北岸に位置する塩津湊は、大津・京と北陸を結ぶ重要な交易ルートとなっていました。塩津浜は、塩…
滋賀県甲賀市土山町、江戸時代に四国・象頭山金毘羅大権現への金毘羅参りの講中が道中の安全を祈願して建立したもので重さ38t、高さ5m44cmの自然石の常夜燈。東海道の難所のひとつ鈴鹿峠を越える旅人の道中安全を見守ってきた常…
和歌山県田辺市中辺路町近露、熊野古道・中辺路(なかへち)、大坂本王子と近露王子の間にある峠が箸折峠。鎌倉時代建立と推定される高さ1.1mの宝篋印塔(和歌山県指定文化財「近露の宝塔」)が立っています。これは花山法皇の熊野御…
奈良県奈良市、奈良から春日山(かすがやま)を越え、柳生(やぎゅう)を結ぶ旧道が柳生街道(滝坂の道)。世界遺産にも指定された春日山原始林の鬱蒼とした巨木が茂るなかを石畳の道が続いています。現在残された2.5kmにわたる石畳…
奈良県奈良市、奈良と柳生を結ぶ柳生街道(滝坂の道)途中にある岩に刻まれた磨崖仏が柳生街道・寝仏。智拳印(ちけんいん)を結ぶ金剛界大日如来坐像(像高48cm)部分が街道脇に転がり落ち、仏様が寝ころんだ状態になっているのがそ…
奈良県奈良市、江戸時代に奈良奉行によって敷かれた石畳の柳生街道(滝坂の道)沿いにあるのが柳生街道・夕日観音。街道から少し斜面を登った場所にある巨岩に刻まれた弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)。鎌倉時代の作といわれ、夕日を受け…
奈良県奈良市、柳生街道(滝坂の道)、能登川の渓流の巨岩に刻まれた三尊仏が柳生街道・朝日観音。文永2年(1625年)の銘があり、朝日観音と呼ばれてはいますが、観音菩薩ではなく、中央が弥勒菩薩(みろくぼさつ)で左右に地蔵菩薩…
群馬県安中市にある中山道(なかせんどう)板鼻宿(いたはなしゅく)の本陣跡が板鼻本陣跡(皇女和宮御仮泊所)。文久元年11月10日(1861年12月11日)、皇女和宮が、将軍家茂と婚儀のため江戸下向の際、板鼻宿本陣の書院に宿…
山梨県北杜市白州町、江戸時代、甲州街道の宿場町として栄えた台ヶ原宿。旧道(旧国道)は、昭和61年、「日本の道100選」にも選定された道筋で、往時の面影を残した静かなたたずまいが残されています。旧街道沿いには、かつての本陣…
宮城県刈田郡七ヶ宿町、桑折宿で奥州街道から分かれた羽州街道の一部、仙台藩領内の山中七ヶ宿街道(山中通小坂越)に設置された7つの宿場(上戸沢・下戸沢・渡瀬・関・滑津・峠田・湯原)が七ヶ宿。その七ヶ宿街道で、唯一現存する大名…
宮城県仙台市青葉区、国分町通(奥州街道)と青葉城から東に延びる大町通り(大手筋)との交差点が、芭蕉の辻。藩政時代の仙台城下の中心となった十字路で、札番所(ふだばんどころ)があり各種の札が掲げてあったので、札の辻とも呼ばれ…