11月1日は、観音埼灯台起工の日で「灯台記念日」
幕末の慶応2年5月13日(1866年6月23日)、アメリカ、イギリス、フランス、オランダと結んだ「改税条約」(江戸条約)で、8ヶ所に洋式灯台を建設することが決まりましたが、最初の灯台は、江戸湾入口の観音埼灯台で、1868…
幕末の慶応2年5月13日(1866年6月23日)、アメリカ、イギリス、フランス、オランダと結んだ「改税条約」(江戸条約)で、8ヶ所に洋式灯台を建設することが決まりましたが、最初の灯台は、江戸湾入口の観音埼灯台で、1868…
大阪府枚方市楠葉中之芝2丁目、淀川左岸に幕末の慶応元年(1865年)に完成した、異国船打ち払い用の西洋式稜堡式砲台が、楠葉台場(くずはだいば)。平成17年に古文書から場所が特定され、発掘調査後に、国の史跡に。現在は楠葉台…
東インド艦隊司令長官のペリー提督は、太平洋航路や捕鯨船の補給地確保もあって徳川幕府に開国を迫るため。嘉永6年(1853年)、フィルモア大統領の親書を携え来航、そしてその翌年に日米和親条約を締結、下田、箱館を開港させていま…
神奈川県横須賀市久里浜7丁目、ペリー公園内に立つのが、ペリー上陸記念碑。明治34年7月14日に除幕された歴史ある石碑で、碑文の文字は、伊藤博文の揮毫(きごう)です。浦賀に来航したペリーは、嘉永6年6月9日(1853年7月…
鹿児島県鹿児島市清水町にある幕末に築かれた台場の跡が、祇園之洲台場跡。生麦事件に続く、薩英戦争で、鹿児島城を守備する祇園之洲台場は主戦場となっています。平成22年の発掘調査で、薩英戦争当時の石垣、砲座、土塁などが広く残存…
鹿児島県肝属郡錦江町馬場、大根占海岸に幕末に築かれた台場の跡が、松崎砲台跡。生麦事件勃発後、大根占海岸の砂丘地に薩英戦争に備えて建設された臨時の砲台で、大砲3門が25m間隔で備え付けられていました。現在は石積みだけが残さ…
鹿児島県肝属郡南大隅町にある幕末の砲台跡が、瀬脇砲台跡。嘉永4年(1851年)、薩摩藩は攘夷(じょうい=外敵を撃ち払って入国させない)の目的で瀬脇砲台、と辺田原に根占砲台(現・台場公園)を築き、大砲1門を構えています。瀬…
静岡県伊東市富戸、城ヶ崎海岸(城ヶ崎ピクニカルコース)の途中、ぼら納屋近くにあるのが、黒船防備砲台跡。黒船の来航で、沿岸防備の必要性から徳川幕府が韮山代官・江川太郎左ヱ門に命じて伊豆、相模、下総、上総、安房5ヶ国に築いた…
鹿児島県肝属郡南大隅町、文久2年(1862年)、生麦事件後、それまであった大門口台場、祇園之洲砲台、新波戸砲台、辨天波戸砲台に加え、新たに台場を構築。そんな薩英戦争に備えて砲台を備えた根占砲台の跡が、台場公園(薩英戦争砲…
静岡県下田市、ペリー艦隊来航記念碑のある下田港から了仙寺へと続く平滑川沿いの道が、ペリーロード。嘉永7年5月13日(1854年6月8日)、軍楽隊演奏に合わせ300人ものペリー艦隊水兵が行進し、下田の人々を驚かせた道です。…
静岡県下田市3丁目、下田港の稲生沢川河口、ペリー上陸記念公園に立つのが、ペリー艦隊来航記念碑。嘉永7年3月21日(1854年4月18日)、ポーハタン号に乗船したマシュー・ペリー提督は、下田港に入港。ペリー提督の胸像、アメ…
神奈川県横浜市鶴見区生麦1丁目 、首都高速道路神奈川7号横浜北線の岸谷生麦IC近くの高架下にあるのが、生麦事件の碑(なまむぎじけんのひ)。文久2年8月21日(1862年9月14日)、居留地のイギリス人が薩摩藩の大名行列に…
神奈川県横浜市中区山手町、山手本通り沿い山手十番館前の歩道に立つのが、居留地界石。安政6年6月2日(1859年7月1日)に締結された日米修好通商条約で、横浜が開港され、横浜村に外国人居留地が設置されますが、居留地界石は、…
長崎県長崎市、南山手らしい風景といわれる坂道が、祈念坂(きねんざか)。明治10年より以前に整備された石畳の道で、旧居留地時代の遺構として貴重なもの。町歩きの休憩所として利用される南山手レストハウスと、大浦天主堂(&nbs…
長崎県長崎市、龍馬通り途中にあるのが亀山社中跡(長崎市亀山社中記念館)。亀山社中は慶応元年(1865年)、薩摩藩、長崎の豪商・小曽根家などの援助により、坂本龍馬が同志とともに結成した日本初のカンパニー(商社)で、後の海援…
長崎県長崎市鳴滝にあるシーボルトが出島から出た後、日本人に西洋医学(蘭学)教育を実施した場所がシーボルト宅跡(鳴滝塾跡)で国の史跡になっています。30歳のときにオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行していますが、長崎…
佐賀県佐賀市にある佐賀藩が幕末の安政5年(1858年)に設立した蒸気船などの造船修理施設の跡が三重津海軍所跡。世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産にもなっています。筑後川の支流であ…
長崎県長崎市のグラバー園に移築復元される旧長崎地方裁判所長官舎は、明治16年に長崎控訴裁判所などとともに建てられたもので、明治初期の西洋化を反映した典型的な官庁建築。当時は長崎外国人居留地外にある唯一の洋風住宅として、現…