諫早ゆうゆうランド干拓の里・旧早川家住宅
長崎県諫早市小野島町にある干拓をテーマにしたテーマパーク、諫早ゆうゆうランド干拓の里に移設された庄屋屋敷が旧早川家住宅。明治7年に北高来郡小野村(現・諫早市赤崎町)に諫早鍋島家家臣・木下助内が建設したものを、平成4年に移…
長崎県諫早市小野島町にある干拓をテーマにしたテーマパーク、諫早ゆうゆうランド干拓の里に移設された庄屋屋敷が旧早川家住宅。明治7年に北高来郡小野村(現・諫早市赤崎町)に諫早鍋島家家臣・木下助内が建設したものを、平成4年に移…
長崎県佐世保市吉井町を流れる佐々川本流に架る2連石造アーチ橋。皇居・二重橋をイメージして大正11年に架橋された優美な石橋です。橋長36.0mは、現役の石橋としては長崎県内最長。幅員6.4mは、馬車がすれ違える幅(6mを確…
長崎県佐世保市吉井町にある松浦鉄道の橋梁が福井川橋梁。伊万里と佐世保を結ぶ旧伊佐線(松浦線)の施設で、昭和19年4月13日、潜竜駅(現・潜竜ヶ滝駅)〜 肥前吉井駅(現・吉井駅)間の延伸開業に伴って、昭和17年に完成したコ…
長崎県佐世保市吉井町にある松浦鉄道の橋梁が吉田橋梁。伊万里と佐世保を結ぶ旧伊佐線(松浦線)の施設で、昭和19年4月13日、潜竜駅(現・潜竜ヶ滝駅)〜 肥前吉井駅(現・吉井駅)間の延伸開業に伴って、昭和14年に完成したコン…
長崎県佐世保市吉井町にある松浦鉄道の橋梁が吉井川橋梁。伊万里と佐世保を結ぶ旧伊佐線(松浦線)の施設で、昭和19年4月13日、潜竜駅(現・潜竜ヶ滝駅)〜 肥前吉井駅(現・吉井駅)間の延伸開業に伴ってに完成したコンクリート造…
長崎県佐世保市城間町にある巨大な防空壕が無窮洞(むきゅうどう)。第二次世界大戦中の昭和18年、当時の宮村国民学校(現・宮小学校)の教師と小学生たちが掘削した幅5m、奥行き20m、生徒600人が避難できたという巨大な防空壕…
長崎県島原市、島原城下の島原武家屋敷通りは、扶持(ふち=米での給与)取り70石以下の島原藩の下級武士たちの住居が建ち並んだエリア。島原城外郭の西側に位置し、島原藩の徒士屋敷(かちやしき/徒士=下級武士で足軽の上)が下の丁…
長崎県長崎市、現存する長崎の石造洋館のなかでは最大規模の建物が旧香港上海銀行長崎支店記念館。渡米留学し建築を学んだ下田菊太郎(しもだきくたろう)が香港上海銀行長崎支店として設計、明治37年に竣工したもので国の重要文化財。…
長崎県五島市蕨町にある教会堂(聖堂)が旧五輪教会堂。明治14年、五島列島の久賀島浜脇に浜脇教会として建てられたもので、昭和6年、現在地(五島市五輪地区)に移築。現存する木造教会堂としては最古の部類もので、国の重要文化財に…
長崎県五島市富江町山崎、五島列島・福江島の南端部、ネンチ鼻とムシマ鼻の間にある、砦の跡が山崎の石塁(勘次ヶ城)。眼前に大海原が広がる半島の先端部に位置し、迷路のような石塁が巡らされていることから倭寇(わこう)の拠点だった…
長崎県諫早市高城町にある水と緑に囲まれた諫早公園。公園がある場所は文明年間(1469年~1486年)に伊佐早(現・諫早)地方を統一した西郷尚善(さいごうひさよし)が築城した高城(諫早城)の城跡。元禄12年(1699年)、…
長崎県大村市にある大村藩の藩庁だった玖島城(くしまじょう)の城跡を公園化したのが大村公園。現在は長崎県内随一の花の名所として知られ、天然記念物のオオムラザクラ(大村桜)300本をはじめとする2000本の桜が、園内を桜色で…
長崎県五島市池田町にある幕末に築かれた福江藩(五島藩)の城が福江城(石田城)。福江藩10代藩主・五島盛成(ごとうもりあきら)の時、異国船の来襲に備え、嘉永2年(1849年)から15年もの歳月をかけ、幕末の文久3年(186…
長崎県長崎市の東山手地区(旧長崎外国人居留地)、オランダ坂の上に建つ東山手十二番館は、明治元年にロシア領事館として建築され、その後アメリカ領事館、メソジスト派(婦人外国伝道協会)の宣教師住宅として使用されていた洋館。旧居…
長崎県長崎市の南山手にある国の重要文化財に指定される西洋館が大浦天主堂・旧羅典神学校(おおうらてんしゅどう・きゅうらてんしんがっこう)。明治8年に完成し、大正15年に浦上神学校ができるまで長崎公教神学校の校舎兼宿舎として…
長崎県長崎市、南山手らしい風景といわれる坂道が、祈念坂(きねんざか)。明治10年より以前に整備された石畳の道で、旧居留地時代の遺構として貴重なもの。町歩きの休憩所として利用される南山手レストハウスと、大浦天主堂(&nbs…
長崎県長崎市、龍馬通り途中にあるのが亀山社中跡(長崎市亀山社中記念館)。亀山社中は慶応元年(1865年)、薩摩藩、長崎の豪商・小曽根家などの援助により、坂本龍馬が同志とともに結成した日本初のカンパニー(商社)で、後の海援…
長崎県長崎市鳴滝にあるシーボルトが出島から出た後、日本人に西洋医学(蘭学)教育を実施した場所がシーボルト宅跡(鳴滝塾跡)で国の史跡になっています。30歳のときにオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行していますが、長崎…