高崎城・東門
往時には本丸門など16もの門があったという高崎城ですが、現存するのは東門のみ。16の城門のうち、本丸門、刎橋門、東門は平屋門で、乗篭が通過できる潜り戸があったのは三之郭(三の丸)入口にあった東門だけ。城の玄関(正門)は三…
往時には本丸門など16もの門があったという高崎城ですが、現存するのは東門のみ。16の城門のうち、本丸門、刎橋門、東門は平屋門で、乗篭が通過できる潜り戸があったのは三之郭(三の丸)入口にあった東門だけ。城の玄関(正門)は三…
高崎駅の南西、烏川(からすがわ)を隔てた観音山と呼ばれる丘陵地にそびえ立つ、関東八十八ヶ所第1番霊場が観音山慈眼院の高崎白衣大観音。白衣大観音は、昭和11年、高崎市内の実業家で井上工業の創始者・井上保三郎氏が平和と戦没軍…
坂東大橋と上武大橋の中程に位置する利根川の渡船が島村の渡し(島村渡船)。伊勢崎市道(6-603号線=新地今泉線)扱いのため、渡船運賃は無料(市道渡船)。この島村地区は、利根川を隔てて埼玉県側に飛び地となっている場所です。…
1639(寛永16)年、天海大僧正が3代将軍・徳川家光に要請し、世良田の長楽寺境内に日光東照宮奥社(元和年間に造営の多宝塔、唐門、拝殿)を移築して創建したのが世良田東照宮。本殿はその際に新築され、徳川家康(東照大権現)を…
武蔵国幡羅郡(はたらぐん)俵瀬村(現・埼玉県熊谷市俵瀬)の名主・荻野綾三郎邸から明治18年~26年頃に光恩寺に移築された長屋門。荻野綾三郎の娘・荻野吟子(おぎのぎんこ/本名=荻野ぎん)は、渡辺淳一の小説『花埋み』の主人公…
古くからの舟運の歴史を残す利根川の渡船、赤岩渡船(群馬県千代田町)の渡船場から徒歩5分の位置に建つ真言宗の古刹が光恩寺。寺伝によれば開基は飛鳥時代に高句麗より来日した渡来僧の恵灌(えかん)という名刹です。さらに814(弘…
永禄年間(1558〜1569年)には、長尾景虎(上杉謙信)が船橋を架けて軍が渡河したと伝わる利根川の赤岩渡船。利根川に現存する唯一の県道(主要地方道)扱いの渡船になっています。定員23名の動力船「千代田丸」、定員20名の…
坂東平野は中世には坂東武士団の活躍の場。足利幕府を開いた足利氏のルーツは下野国足利庄(現・栃木県足利市)。戦国時代には北条家の城下町・小田原は、日本最大の城郭都市でした。豊臣秀吉による徳川家康の関東移封で江戸城が拡張され…
平成2年に公益財団法人日本さくらの会の創立25周年記念として、当時の建設省、運輸省、環境庁、林野庁、全国知事会、財団法人国際花と緑の博覧会協会の後援で選定された「日本さくら名所100選」。9つの基準をクリアして選ばれた「…
標高591mの桜山の山頂に整備された自然公園。上毛三山をはじめ秩父連山・浅間山などを見渡すことができ、11月から12月にかけては冬桜7000本と紅葉の組み合わせが趣ある景観を創出し、「日本さくら名所100選」にも選定され…
「日本のさくら名所100選」に選ばれた群馬県屈指の桜並木。市道沿いに1400本の桜が植栽され、ソメイヨシノが約2kmに渡って桜のトンネルを形成しています。例年4月上旬〜4月中旬に見頃を迎え、夜間はライトアップにより夜桜見…
太田市のシンボルである金山(標高235.8m)に築かれた戦国時代の城が、金山城(かなやまじょう)。97.8haが国の史跡となる大規模な山城で、日本100名城に選定。本丸跡とされている山上に新田神社が鎮座しています。中世の…
榛名山東南麓に築かれた中世の平山城が、箕輪城(みのわじょう)。東西500m、南北1100m、総面積36haという広大な城で、「日本100名城」にも選定。相模・小田原城が本拠の北条氏康、甲斐・府中(甲府)の武田信玄、越後の…
中山道の難所のひとつ、上信国境(群馬・長野県境)に位置する旧碓氷峠。峠には国境をまたぐように熊野皇大神社(群馬県側は熊野神社)が鎮座していますが、その向かいにあるのが元祖力餅の「しげのや」。若主人の水澤貴文さんは、熊野皇…
嬬恋村は、浅間山麓の標高700m~1400mに広がる日本一の夏秋キャベツの産地。広大なキャベツ畑を走る広域農道がキャベツロードと呼ばれる「つまごいパノラマライン北ルート」。その途中には『キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ』(…
プリンスホテルグループの管理する峰の茶屋〜三原を結ぶ「鬼押ハイウェー」(16km)。峰の茶屋から鬼押ハイウェーを走るとすぐに荒涼たる浅間山山麓の光景が車窓に展開します。ここが六里ヶ原で、プリンスホテルの経営する絶景のレス…
中山道の通る上信国境の旧碓氷峠。その峠に鎮座する熊野皇大神社は、社殿の真ん中に国境(くにざかい=長野県・群馬県の県境)が通る社で、『ブラタモリ』で訪れたタモリも、そのパワーに触れています。日本海と太平洋の分水嶺が神域とい…
♨温泉マーク(地形図の温泉記号)はいつから使われているのでしょうか。実は、ドイツ発祥説を抑えて有力なのが、磯部温泉発祥の説。磯部温泉には発祥の地碑も設置されていますが、はたしてその根拠は一体何なのでしょうか…