川北温泉
知床半島の付け根、標津(しべつ)山中に湧く温泉。もとは標津から忠類川の川筋に沿って山越えで斜里に向かう忠類越(ちゅうるいごえ)の湯治場として栄えた場所。明治時代は「竹沢の湯」と呼ぶ温泉宿もありました。旅館廃業後、昭和47…
知床半島の付け根、標津(しべつ)山中に湧く温泉。もとは標津から忠類川の川筋に沿って山越えで斜里に向かう忠類越(ちゅうるいごえ)の湯治場として栄えた場所。明治時代は「竹沢の湯」と呼ぶ温泉宿もありました。旅館廃業後、昭和47…
明治14年、忠類村(現在の標津町忠類)から崎無異(さきむい)までの山道が開削され、さらに明治18年に「新斜里山道」として斜里に通じる根北峠(こんぽくとうげ)越えの峠道が開通。その際に、瑠辺斯(るべす)に駅逓(えきてい)が…
「地球が丸く見える」がキャッチフレーズの開陽台展望館の1階にあるカウンター席だけの店。窓際にカウンター席が用意されているので、広大な中標津町営開陽台牧場、根釧原野のかなた、根室海峡に浮かぶ国後島など周囲の眺めを楽しみなが…
羅臼港から道道知床公園羅臼線の終点、相泊を目指して走り、終点の相泊のひとつ手前にある集落が瀬石(セセキ)。エゾマツ、トドマツが盆栽のように茂る断崖から海へと落ちる滝がセセキの滝です。雪解けのシーズンならその水量で道路が濡…
尾岱沼港を走る国道244号近くにある民営の立ち寄り湯。国道の一本内側にあるため通り過ぎてしまう人も多いのですが、温泉好きなら見逃せない存在。ナトリウム-塩化物泉とアルカリ性単純温泉の2つの源泉を所有し、内風呂、露天風呂と…
知床連山の一座、海別岳(うなべつだけ/1419.3m)の北麓、斜里町峰浜地区の高台に建つのが公共の宿でもあるウナベツ自然休養村管理センター。国道から外れているので穴場の温泉ですが、ウナベツ温泉というアルカリ性単純温泉が湧…
北海道には「つるつる温泉」と称する温泉が多々ありますが、標津町のホテル楠はまさにそれ。民営の国民宿舎で、アットホームなサービスと味自慢で常連も多いのですが、宿泊棟の裏手にある温泉棟では日帰り入浴も楽しめます。温泉棟の大浴…
中標津市街にある地元では有名な手作りケーキの店。生クリームロールケーキ、なかしべつクリームプリン、なかしべつコーヒー牛乳プリンなど道産の素材を使ったスイーツが人気。場所柄駐車場も完備しているので、ドライブ途中に寄り道にも…
平成25年で廃止となった『標津・中標津連合馬事競技大会』の会場となった草競馬場(コースは一周1000m)。ばん馬の騎乗レース、人間ばんばなど27種の競技種目が開催されていた草競馬の競馬場の跡。映画『遥かなる山の呼び声』(…
標津町(しべつちょう)の海岸から少し内陸に入った原野にある伊茶仁カリカリウス遺跡は、伊茶仁川(いちゃにがわ)とその支流、ポー川との間の台地上に形成された遺跡。407haの広大なミズナラ林を主体とした遺跡の森が海岸から内陸…
羅臼市街から標津方面に国道335号を走り、春日町を越えると羅臼町営のキャンプ場の先で国道はスノーシェルターに入りますがこの海岸側の旧国道にあるのが羅臼峠。森繁久彌さんが作った『知床旅情』(元歌は『サラバ羅臼』)で、「君は…
羅臼岳のウトロ側登山口に位置する岩尾別温泉は「ホテル地の涯」の一軒宿。鹿の出没するダートの道を走ったまさに地の果てに建つ宿です(夕方〜夜間〜早朝の走行は鹿など野生生物の出没に注意が必要)。宿にも露天風呂はありますが、駐車…
羅臼町から少し標津寄りに走った麻布町の食堂。民宿も営みますが食堂がメインで、イクラ丼、ウニ丼、鮭親子丼、スペシャル丼などの海鮮丼、トド肉定食、まるみ定食、羅臼昆布で出汁をとったラーメンなど、羅臼産の魚介を生かしたメニュー…
ウトロ港を見下ろす高台が夕日の美しさで定評のある夕陽台。国設知床野営場もありますが、その横に建つのが日帰り入浴施設の夕陽台の湯。小さいながらも男女別の露天風呂があり、海を眺めることも可能で、日没の時間が入浴のベストタイム…
別海町市街の道道8号沿いにある知的障害者更生施設である「柏(かし)の実学園」の直営するカフェ。北海道小麦・天然酵母の手作りパンを販売するほか、販売するパンを購入して、自家焙煎のコーヒーとともに店内で味わうことができます。
江戸時代に献上鮭を出した、北海道一美味しい鮭が穫れる川が別海町を流れる西別川。その周辺には兼金沼(かねきんとう)などの三日月沼が残りますが、そのひとつが西丸別川途中の茨散沼(ばらさんとう)。国道244号からダートの茨散林…
根室エリアの1戸あたりの牧場面積は全道平均の3倍にあたる68.4ha。一戸あたりの飼育数も116頭にも及びます。鮭鱒の漁獲高日本一など、漁業の町のイメージが強い標津町ですが、内陸部を走ると牧草地帯が続いています。現在、「…
ウトロ港にあるカウンター席のみ20席の素朴な食堂。もともとは昭和40年頃、イカ漁で本州から遠く知床まで遠征する漁師向けに飲食を提供し、日用雑貨を置いたのが始まり。以前は地元の人、釣り人の利用が多かったのですが最近では口コ…