浄妙寺
臨済宗建長寺派の寺で、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第五位が浄妙寺。正式名は稲荷山浄妙廣利禅寺。文治4年(1188年)、源頼朝の忠臣として知られる足利義兼(あしかがよしかね)が栄西門下の退耕行勇(た…
臨済宗建長寺派の寺で、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第五位が浄妙寺。正式名は稲荷山浄妙廣利禅寺。文治4年(1188年)、源頼朝の忠臣として知られる足利義兼(あしかがよしかね)が栄西門下の退耕行勇(た…
横浜の馬車道にあるのが「日本最初のガス灯」記念碑と復刻されたガス灯。「横浜の父」ともいわれ、易によって運勢・吉凶などを判断する高島易断(たかしまえきだん)としても知られる高島嘉右衛門(たかしまかえもん)が、明治5年9月2…
大山ケーブルの中間駅「大山寺駅」にある大山不動尊(雨降山大山寺)は、成田山新勝寺、高幡不動尊金剛寺と並んで関東三大不動のひとつに数えられる真言宗大覚寺派の大本山。天平勝宝7年(755年)開山の古刹で、神仏習合時代から真言…
大山詣での御師(おし)の町並みが残る大山ケーブル駅(山麓駅)と中間駅の大山寺駅を経て阿夫利神社駅(あふりじんじゃえき=山上駅)を結ぶ大山観光電鉄の運行するケーブルが大山ケーブルカー。大山ケーブルバス停からみやげ屋や名物の…
標高200mの武山の山頂の一角にある武山不動。浄土宗の寺で、正式名称は龍塚山(りゅうちょうざん)不動院持経寺。江戸時代には浦賀水道を通る船の目印にもなり、地元の漁師はこの山がどこに見えるかで漁場の位置を確認したことから「…
日米修好通商条約の批准書交換のために万延元年(1860年)、遣米使節がアメリカに派遣されましたが、その時随行した咸臨丸に乗船の町田房蔵が、再度渡米し、明治2年6月に横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で販売した「あいすくり…
横浜中華街の一画、横浜中華学院脇を通る関帝廟通り沿いに立つのが「日本における新聞誕生の地」碑。この場所で元治元年(1864年)6月28日、ジョセフ・ヒコ(ジョセフ彦=浜田彦蔵)が、外国新聞を翻訳編集し、日本初の邦字新聞『…
建久9年(1199年)12月27日、源頼朝は、御家人・稲毛重成(いなげしげなり)が亡妻の供養のために相模川に架けた橋の落成供養の帰途、落馬したことが原因で没しています。頼朝は鎌倉の持仏堂(後の法華堂)に葬られましたが、明…
鎌倉幕府3代将軍・源実朝は、建保7年(1219年)1月27日、右大臣任官の祝賀が行なわれた鶴岡八幡宮参拝の帰り道、境内で甥(おい)の公暁に暗殺されてしまいます。神奈川県秦野市(はだのし)にある金剛寺は、鶴岡八幡宮境内で暗…
鎌倉幕府を開いた源頼朝が創建した由緒ある古社が鶴岡八幡宮。もとは康平6年(1063年)、相模守となった源頼義が、材木座に京の石清水八幡宮を勧進したのが始まり。その後、鎌倉に居を構えた頼朝が治承4年(1180年)10月12…
源頼朝が没した翌年の正治2年(1200年)、北条政子の発願で伽藍を建立、栄西が開山した名刹、寿福寺。鎌倉五山第三位で臨済宗建長寺派の寺。寺が建つ場所は頼朝の父、源義朝(みなもとのよしとも)の居館があった場所。頼朝が鎌倉入…
嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に江戸幕府とアメリカ合衆国が横浜村(現・横浜市)の海岸近くで日米和親条約を締結しました。その歴史的な場所が、現在の大桟橋通りが海岸に出るところ、大さん橋ふ頭の付け根に園地として残さ…
日本のパン文化は、安土桃山時代にポルトガルの宣教師によって日本に伝来。だからブレッドではなく、ポルトガル語のパン(pão)に由来する言葉に。しかし、開国以降の近代では、横浜の居留地で文久元年(1861年)に「お貸長屋」(…
鎌倉の由比ヶ浜と七里ヶ浜の間に位置する岩礁の岬。新田義貞が鎌倉に攻め入ったのもこの稲村ヶ崎から。かつては天然の砦(とりで)で、西方から鎌倉に攻め入ろうとする軍勢は、直前に海が迫り、急峻な断崖の稲村ヶ崎で必ず足止めを食った…
京浜急行電鉄は、明治31年2月25日に設立した大師電気鉄道株式会社が前身。明治32年1月21日、大師電気鉄道は、川崎駅(後の六郷橋駅)〜大師駅(現・川崎大師駅)間 (2.0km) を開業。これが現在の京急大師線です。川崎…
経済産業省の近代化産業遺産に認定される赤レンガ倉庫、50t起重機(ハンマーヘッドクレーン)のある新港ふ頭地区と、象の鼻パークを結ぶ「山下臨港線プロムナード」途中にあるかつてここを走った鉄道、臨港線(税関線)の新港橋梁。遊…
天平8年(736年)、徳道上人の創建と伝わる鎌倉長谷にある浄土宗の古刹、長谷寺(はせでら)。坂東三十三観音第4番霊場で本尊は十一面観世音菩薩。高台にあるため、長谷界隈でもっとも眺めがいい寺で、鎌倉の海岸線を眺望します。そ…
昭和5年に運輸省航海練習所の元練習船として進水し、数々の遠洋航海に出た日本丸。昭和59年に練習船としての役目を終え、横浜に永久的に錨を下ろしました。その帆船日本丸が係留保存されるのが横浜みなとみらい21地区にある日本丸メ…